#11【時を刻む社会を作り変える権力、その有り様】

『コロナ後の世界には』何があってほしくて、どうすれば皆が楽しく暮らせるのか、一つずつ自分の望みを書いていきたいと思います。未来へ進もう。

時は、社会とともに未来へ向かって流れてゆくものである。
我々が生きようとする社会を作り変えようとする試みは、常に未来に向かって行なわれる。もし、改革を目指そうとするならば、それはこれからを生きる世代にとって意味あるものでなければならない。

しかしながら、我が国の政治社会は本当にその通りにあってきただろうか。
コロナ禍に行き当たり、今までに無く未来を見据えることの大切さが浮き彫りになった。将来起こるかもしれない危機に対して、想像していたのと比べ、我々はどこまで備えが出来ていただろうか。何か悲愴的な事件が起こらなければ動かない日本のお家芸とでもいうような事後主義はまだまだ根をはびこらせているのではなかろうか。

感染症危機についても様々なことが指摘された。緊急時の民間病院への指揮命令、医師の応召義務の解釈整理、mRNAワクチンに代表される基礎的研究への投資、地方自治のお題目に惑わされない国・地方関係の整備など、事前に備えられていたならば事態が幾分ましになっていたことは多い。

これからの国家運営にあたっては、将来を戦略的に見据えた判断が求められる。過去でも現在でもなく、未来を重視した生き方を国家にも我々一人ひとりにも求めていきたいと思う。
そして、付言するならば、その未来をより長く生きるであろう現在の「若者」に、より多く自らのことを自らで決める権利を、「主権」を国家の意思として与えていかなければならない。気候変動対策で、世代間闘争ともとれるような事態が浮き彫りになったことから考えても、この問題にはそろそろ一応の整理をつけなければならない。社会を作り変える権力を誰にどの程度配分をするのかという問題である。

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