#5【人間の価値は”労働力”だけじゃない】

『コロナ後の世界には』何があってほしくて、どうすれば皆が楽しく暮らせるのか、一つずつ自分の望みを書いていきたいと思います。存在を認める。

2020年5月に前回の緊急事態宣言が明けて、ほどなくして派遣労働者にとって危機が訪れた。業績の悪化して耐えられなくなった企業が、6月の契約更新を断る「6月危機」だ。雇用の調整弁ともいわれる非正規の派遣労働が、経営危機において真っ先に整理の対象となるのは、もともと制度の趣旨からしても当然の結末ではあった。派遣推進派からすれば、そうしたリスクを承知の上で自由な働き方を手に入れたわけだよねということなのだろう。

しかし、労働者派遣制度は当初の理想であった、高技能の者の自由な働き方を保障するニューウェーブな雇用形態からはかけ離れ、企業のしたたかな人事戦略に引き付けられる形で交渉力の低い人材の寄る辺となって機能してしまっていることは論を俟たない。これが国民の期待した制度の果実だったのだろうか。そうでないとするならば、いま派遣制度を抜本的に見直すことを含めて、人間をただの労働力としか思っていないという批判の文言がもつ空恐ろしさに真剣に向き合うべきだ。

そもそも、派遣切りにあってたちまち生活が苦しくなる人がどうしているのだろうか。働けなくなったらどうして生活もできなくなるのだろうか。
そして一方で、不労収入で生活できる人がいるのは何故だろうか。専業主婦でも暮らしていけるのはどうしてだろうか。

誰かがシンプルに答えるなら、それは「価値を提供できているか」によるということになるのだろう。派遣労働者はその身を比較的単純な労働力として提供することしか能がないから、働き口がないのは市場に求められている価値が備わっていないから、不動産の持つ価値は所有権という偉大なものに帰属するから、主婦は家事労働力という価値を提供しているから。

しかし、果たしてそうであろうか。「労働力」という価値以外に、人間存在の価値は何も存在しないのだろうか。ただそこにいてくれるだけでいい、私を見つめてくれるだけでいい、話を聞いてくれるだけでいい。そんな、価値の存在の仕方では生きるための資格は与えられないのだろうか。

AIやロボットの進化で、人間社会を維持していくための諸労働は代替され、今の仕事の多くが無くなるという研究結果さえ出ている。ただ存在するだけで生きることのできた子ども時代が終わり、さぁあなたもこの社会機構を維持するための歯車になるのだと義務を課せられる潮目の変わるタイミングは、もしかすると将来の子どもたちにはやってこないかもしれない。

ただ今問題とされているのは、いずれそうなるのだからそれを待とうという考えで終わるのではなく、未来を先取りして今起こり得る不幸を摘み取ってしまうことにあるのではないだろうかということである。いずれ労働力が必須とされない社会が来るのであれば、いま、あなたがただ生きているだけで認められるような社会を作ったっていいんじゃないか。コロナで価値観が揺らいでいる今だからこそ、そのチャンスがやってきているのかもしれない。

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