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『かぐや様』EDと、ジブリ短編『On Your Mark』考察

はじめに

 もう4年前のことになりますが、アニメ『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』のEDをニコニコ動画で観た時に、『On Your Mark』に言及するコメントがちらほらあったのを覚えています。
 それ以来、いつかはちゃんと観たいなと思っていたのですが、来月中旬に調布で28年ぶりの上映があるというニュースに背中を押されて、ようやく観てみました。

 本稿はジブリの短編作品『On Your Mark』(1995年)について、私なりの解釈を書き連ねたものです。

 それに先がけて、まずは『On Your Mark』という作品について(既存の記事を紹介する形で)簡単に説明をして、次に『On Your Mark』を観るきっかけとなったアニメ『かぐや様は告られたい』の1期(2019年)EDと、その続編とも言える3期(2022年)EDにも言及した上で、『On Your Mark』の考察を語りたいと思います。

 先がけの部分はだいたい知ってるという方は、最後の本題だけを読んでも大丈夫ですので、以上よろしくお願いします。

『On Your Mark』とは

 ジブリの公式ページでは簡単な作品紹介だけですが、以下の非公式ファンサイトでは、CHAGE and ASKAがジブリにミュージックビデオを依頼して宮崎監督がそれを引き受け『耳をすませば』(1995年)と同時上映されるに至った一連の経緯が述べられています。
(なお本文中で使用した画像は、上記の公式ページにある作品静止画を使わせていただきました。)

 この記事の末尾にはリンクがあって、宮崎監督のインタビューや対談を紹介した同サイト内の記事に飛ぶことができます。そして作品情報のページにも興味深い情報が書かれていました。
 特に目を惹くのが製作期間で、「1995年1月5日〜1995年5月27日」なので、この年に起きた二つの大きな出来事、つまり阪神淡路大震災と地下鉄の事件がはっきり含まれています。

 それらの出来事が作品に影響を与えたのはまちがいないと思われますが、この作品には同時に、素直に楽しむべき側面も豊富に存在しているので、この情報を知って「観なければ」と使命感に駆られた人から、未知のジブリ作品に興味を惹かれた方まで、それぞれの楽しみかたで作品に接していただけると良いなと思います。

 こちらの記事では作品のアウトラインの紹介から始まって、作品の魅力について、更には楽曲という側面と映像という側面の両方が語られています。
 文章も読みやすくて楽しいし、知識ゼロの人にも分かりやすい書き方だし、何より作り手・作品に対する愛情が伝わってくるのが良いですね。
 この記事の途中で書かれている、『On Your Mark』という作品を何としてでも観て欲しいという想いは、私も強く共感しました。

 最後に紹介するのは、CHAGE and ASKAが2004年に行ったライブの映像です。『On Your Mark』を歌う二人の背後でジブリの映像が流れているのが確認できます。
 もしもこの場に居合わせたら、どちらを観るかで悩んでいる間に曲が終わってしまいそうですね。

アニメ『かぐや様は告らせたい』ED

 ということで、次は『かぐや様』の話に移ります。
 まずは1期EDから。

 この映像は主に、白銀とかぐや様が生徒会室で行き違いになった夏休みのエピソードと、屋上で月見をした時の会話、京都の本邸に呼び出された時、そして花火の日の出来事から話を膨らませています(そこに鳥葬などの小ネタが挿入されています)。

 かぐや様が会長の椅子でまどろんだ時に見た夢は、(この時点では)おそらく叶わないと理解していながらも捨て切れないまま心の奥底に眠らせていた願望が表面化したものだと思われます。
 夜空に浮かぶ飛空艇から早坂の助けを借りて脱出したかぐや様は、その途上で翼の生えた天使の装いに変化へんげして、陽の光が溢れる外の世界で、自分を助けに来てくれた白銀と合流しました。
 白銀としっかり手を繋いで、そして彼の肩に両手を乗せて宙を漂うかぐや様。藤原と石上もすぐ横を併走して、飛行機と天使の翼が遠ざかって行くところで夢が覚めます。
 机に突っ伏したかぐや様の肩に手を乗せているのは白銀で、その隣には藤原が、机の前には石上がいて、生徒会の一同が揃っていました。
 願望が完全に叶ったわけではないにせよ、かぐや様は原作の夏休みには果たせなかった、そしてこの時点で望み得る最上の体験ができたと言って良いのでしょう。

 ジブリの他作品の雰囲気も感じさせつつ『On Your Mark』とも多くの共通点を持ち、そして原作のエピソードも上手く組み込んで、これら先行作品のファンが観ても嬉しくなるような作りになっているのがとても良いですね。

 続いて、3期EDです。

 冒頭に現れるのはおそらく不老不死の霊薬で、かぐや様が月の一族に連れ去られた時に残していったものだと思われます。
 夕暮れの中を、かぐや様を乗せた飛空艇が遠ざかって行きますが、白銀にできるのは霊薬を口にすることだけでした。
 かぐや様を諦めて、霊薬の力で楽しく生きる──そんな考えではないことは、原作で十億円を手にした時の白銀を知っている読者はもちろんのこと、アニメ派の視聴者にも丸分かりでしょう。

 そして時は過ぎ、文明が発達して、人類は月に侵攻できるまでになりました。つまり、かぐや様を取り戻せる段階にまで技術が進歩するのを待つために、白銀は霊薬を飲んだのだと考えられます。
 月への輸送船に乗り込む直前、白銀は過去を振り返ります。かぐや様がさらわれた時のこと、自分の選択を後押ししてくれた父と妹、(ほっぺにキスする柏木さんを見てショックを受けてる人も含め)支えてくれた仲間たち、そして早坂。
 かぐや様と別れて長い時が流れ、ともに過ごした時間なら比べ物にならないはずなのに。別れ際のかぐや様の表情が、左手に握る霊薬の入っていた瓶が、白銀を月へと向かわせます。それを全力で支える早坂。

 変わり果てたかぐや様との再会、そして激しい戦闘を経て、月の一族は飛空艇で逃げるために艦内にかぐや様を連れ戻そうとします。
 目の前で同じ事を二度も繰り返させないために、そしてかぐや様を取り戻すために。白銀は早坂の援護を得て、託されたリボンを握りしめてかぐや様に手を伸ばし、彼女の記憶と身体を取り返すことに成功したところで目が覚めました。
 頬の感触に驚いて、あわてて後ろを振り向いた白銀の視線の先には、夢で別れ際に見た時とはまるで違う、少し照れ笑いを浮かべたかぐや様がいたのでした。

ジブリ短編『On Your Mark』

 では本題に入ります(と言いつつ前置きが入ります)。

 この作品は7分にも満たない短編ですが、色んな解釈が可能で考察しがいのある作品であると同時に、ただ観たままを楽しむこともできる作品だと思います。
 私も最初は何も考えずに物語の流れを堪能したのですが、そこで二つの作品を連想しました。

 一つは、ドラえもんで「絵本入りこみぐつ」が出てくるお話。
 もう一つは、いわゆる悪役令嬢もの(より広く言えば憑依転生系の作品)です。

 前者では、『人魚姫』の絵本に入ったドラえもんが作中キャラに関与して、ストーリーを変えてしまう様子が描かれていました。
 後者では、別の作品(作中作)の特定キャラに転生した主人公が前世の記憶を利用して、ストーリーを変える展開が一般的です。

 この『On Your Mark』という作品が上記のどちらの型に当て嵌まるのかと問われると、限定するのは難しいと答えるしかないのですが。。
 それでも、CHAGEとASKAに似た二人を単なる現地人として扱うのが不適当だと思うのは、彼らが「リセット能力」を行使していると考えられるからです。
(作中で観測される繰り返しについて、私はこれ以外に筋道の通った解釈を思い付きませんでした。)

 この「リセット能力」の存在を前提とした上で作品の解釈を試みると、二人が現実世界から一時的にやって来た設定であれ、現実世界の記憶を(一部あるいは全て)失って現地人として生きている設定であれ、そこは重要ではないように思えて来ます。
 つまり、現実のCHAGE and ASKAと(キャラデザインだけに止まらない)何かしらの繋がりがあるのではないかと考えながら作品を見直すことが大事なのであって、その繋がりの詳細を明かすことは作品の面白さの解明にはあまり繋がらないのではないかと考えました。

 ということで、ここからは作品の内容に触れていきましょう。
 ネタバレしかない上に少し書き過ぎな気もしますので(問題があると思えたらすぐに修正します)ご注意下さい。

時系列に沿って『On Your Mark』

 自然が豊かな景色の中に石棺が登場する。
 石棺のすぐそばまで近づいて、画面が横に向かって流れていく。
 そして石棺を背後に残して、装甲車がこちらに近づいて来た。CHAGEとASKAに似た二人が乗っているが、この時点では判然としない。
 曲タイトルを歌い上げると同時に『On Your Mark』と「CHAGE&ASKA」の表示が出て、画面が切り替わる。

 最初の映像は、彼らの願望をイメージ化したものと考えると、後々で整合性が取れるように思います。
 この世界は放射性物質で汚染されていて、人々は地下に都市を築いている設定なのですが、二人は「いつか石棺のすぐ近くを車で走ってみたい」と考えているのだと解釈しました。

 もしも作中世界と現実世界を繋ぐ扉があるとしたら、それは石棺のすぐ近くに存在していると考えられます。
 二人が現実世界から一時的にやって来た設定なのだとしたら、「すぐに離れるしかなかったけれども最後にあの近くを走りたい」という願望になるのでしょう。
 一方、二人が現実の記憶を失った現地人である場合は、失われた記憶が扉の存在を訴えかけて、それが上記の願望に繋がった形なのかなと思うのでした。

 ちなみに、1995年当時は「CHAGE&ASKA」表記で、2001年から「CHAGE and ASKA」表記になったとのことです。

0:30
 警察の飛行パトカーが怪しげな教団の本部を強襲する。
 激しい銃撃戦が描かれる中で、教団本部の最上階に向かって浮かび上がっていく「17」と書かれた飛行パトカー。

 教団本部を制圧する様子が時間を掛けて描かれていますが、CHAGEもASKAも出て来ない(彼らと確定できる映像は無い)ので、特に語ることはありません。
 ちなみに、1979年にデビューしたCHAGE and ASKAにとって、この作品が公開された1995年は17年目となります。おそらく二人は17番の飛行パトカーの中にいて、襲撃(=教団員の殺害)には加わっていないのでしょう。

1:26
 生き残りの教団員がいないか確認している警察官たちの背後に二つの人影が浮かぶ。
 部屋の奥に倒れている翼の生えた少女。それに近づく二人の警察官。翼を持ち上げて倒れている少女を覗き込む。
 少女とCHAGEとASKAの三人が黄色いオープンカーでドライブする映像が挟み込まれた。少女には翼がなく、CHAGEが身体を持ち上げると初めて翼を広げる。運転はASKA。CHAGEは少女を大空に向かって飛び立たせる。

 おそらく、最初に少女に近づいた二人の警官はCHAGEとASKAではないのでしょう。
 つまり、ここで最初のバッドエンドを迎えたと考えられます。
 違う言い方をすれば、二人が現地人であれ現実からの来訪者であれ、この時からCHAGEとASKAは作中世界に決定的に関与していくことになります。

 なお、当初は『Re:ゼロから始める異世界生活』のような死に戻りの能力かもしれないと考えたのですが、警察官が少女に近づく映像がこの短時間で繰り返されていることから、二人の死がリセットのトリガーとなる可能性は低いと考えました。
 つまり能力の発動は二人の意志にかかっていて、だからこそ二人は作中世界とは異質の存在=現実と繋がりのあるキャラクターなのではないかと仮説を立てました。

 さて、二人が行動した理由は、挟み込まれたドライブの映像が教えてくれます。
 冒頭の素朴な願望に代わって、二人は少女との交流を望むようになりました。
 普段は翼を隠して暮らし、いつか三人で外をドライブできる日が来れば、気ままに翼を伸ばして思うぞんぶん大空を飛ばせてあげたい。
 少女の手を離すCHAGEからは永久の別れを示唆するような気配はなく、この時点での二人の願望は、束の間の休暇のようなものを想定していたのでしょう。

 その結果として、最初のリセットが行われました。

 画面は戻って、倒れる少女に近づく警官二人。
 翼を持ち上げて状態を確認して、警官はガスマスクを取る。最初に少女に近づいたのはASKAで、後に続いていたのがCHAGEだった。
 二人は少女を抱きかかえて場所を移し、栄養剤を飲ませる。少女が飲み下す様を見て喜ぶCHAGE。
 しかし防護服に身を包んだ一団がやって来て、少女は救急搬送されていく。
 それを見送って、後に残された二人もその場を離れる。

 二人が現地人ならば当然ですが、現実からの来訪者であっても介入できる限度があります。
 倒れている少女に他の警官が近づいてその場で殺害というバッドエンドは避けられましたが、二人には少女を治療することができません。そして搬入先で完治したところで、防護服の一団が翼の生えた少女を返してくれるとは思えません。
 二人にとっては打つ手なしの状況です。

2:42
 居酒屋で二人が酒を呑んでいる。コップを机に叩き付けるASKAと、黙って付け合わせを口にするCHAGE。二人は目を覚ました少女の反応を思い出していた。
 ASKAはPCで何か調べものを、CHAGEは何かの小型機械を作っている。
 完成品を見せるCHAGEと、何かを見つけたASKA。
 再び居酒屋にて、コップの酒を飲み干したASKAと、タバコの煙を深く吐き出したCHAGE。

 おそらく最初の時点では、二人の少女への関心は愛玩動物に対するそれと大差のないものだったと思われます。敢えてはっきりと書くならば、殺処分されようとしている犬猫に手を差し伸べるような感覚だったのでしょう。
 けれども一瞬だけ意識を取り戻した少女の反応は、彼女が受けてきた苛酷な扱いと、たとえ翼が生えていても人として感情を通い合わせることができる存在であることを、二人に強く知らしめるようなものであったと推測されます。

 単なる愛玩動物であれば、命が助かっただけで万々歳だと自分に言い聞かせて、そのまま見て見ぬ振りをして済ませても良かったのかもしれません。
 けれども自分たちと同じ人間なのだと意識してしまった以上は、少女をこのまま見殺しにはできません。

 二人は少女を助けるための下準備を済ませて、その実行を決断しました。

 二人は廊下を歩き、防護服に身を包み、その先にいた防護服の一団に眠り薬をかがせて無力化し、奥の部屋へと侵入する。
 何かの装置に入れられている翼の生えた誰か。
 CHAGEが作ったリモコンで装置を止めて、二人は少女を外に出す。
 響き渡る警報。
 少女を抱きかかえて走る二人。

 あらかじめリモコンを作っていたことから、実験動物よりも酷い扱いを少女が受けていたことを二人は把握していたのでしょう。
 二人には作中での立場があり、それはASKAが調べものをしていた横に花束やプレゼントを無造作に並べていたことから推測できます。恵まれた環境だったと言って良いと思います。

 それでも、作中世界の人とは価値観が微妙に異なる二人が見た少女の現状は、居心地の良い環境を投げ打って自らを危険に晒してでも改善してあげたいと思えるものでした。
 それに加えて、リセット能力を使って少女に関与した責任も、自覚していたことでしょう。二人には、少女があのまま死んでいた場合よりも悲惨な未来を回避する、義務があります。

 装甲車に乗って、トンネルを抜けて、二人は地上を目指す。
 集まって来る飛行パトカー。
 ASKAはアクセルを踏み込むものの、パトカーの体当たりで道が崩れていく。
 空中に投げ出された装甲車の窓から、ASKAは少女を逃がそうとする。すくみあがって動けない少女を持ち上げるものの、少女は手を離そうとしない。二人が落ちていく。助けないと死んでしまう。
 自分たちのことはいいから飛べと伝えるCHAGEとASKA。しかし少女は二人を見捨てられず、三人は装甲車とともに落下していく。

 少女が目を覚ましたのは装甲車に乗り込んだ後なので、ろくに情報共有もできない状況だったと思われます。
 以前に教団本部で助けられた時も大半は意識を失っていたので、二人の顔を全く覚えていない可能性すらありますし、たとえ覚えていても防護服の一団と同類だと見なされても不思議はありません。

 自分を連れ出す二人が敵か味方かも分からない。飛行パトカーの標的はこの二人なのか自分なのか。悲惨な環境を抜け出せたのではなく、更に酷いことになるだけかもしれない。分からない事は山積みなのに、状況は刻一刻と変わっていく。
 そんなふうに混乱した状態では、身を竦めて動けなくなってしまうのも仕方がないのでしょう。
 それでも、落ちていく二人を目にした少女は、何とか助けようと必死になって、繋いだ手を決して離そうとはしませんでした。少女の善性が窺えます。

 けれどもCHAGEとASKAにとっては、少女を不幸な境遇から解放するために危険な橋を渡ると決めた以上は、まず少女が助からないことには話になりません。
 当初は軽い交流程度の考えだったのが、今の二人にとっては、少女の未来のほうが自分たちの命よりも大事なのです。

 あるいは、この世界での死が間近に迫ったことで、二人は現実世界に戻る未来を垣間見たのかもしれません。現地人なら記憶の一部が戻り、来訪者ならタイムリミットを自覚した形になるのでしょうか。

 いずれにせよ、落下していく三人は身動きが取れない状態なので、このままではバッドエンドです。
 それを回避するために、二度目のリセットが敢行されました。

4:41
 再び降り立った二人。
 翼の生えた少女に近づいて、ガスマスクを外して。
 そこで思い浮かべたのは、少女が翼を広げて空に浮かび上がっていく姿。少女は二人から遠ざかって行き、ついには翼しか見えなくなった。

 ここで、少女との交流を望んでいたCHAGEとASKAの内面に変化が生じました。
 三人で落下した体験を経て、二人と少女は道を同じくする者ではないと理解できてしまったからです。

 気付いてみれば当たり前のことですが、二人と一緒にいると、少女は持ち前の翼を存分に発揮できません。
 逆に二人にとっても、少女の存在は足手まといになってしまいます。この世界で平穏に暮らすことはできないでしょうし、少女がいる限りは現実世界に帰還することもできません。
 感情を通い合わせたり、ともに楽しい時間を過ごすことはできたとしても、ずっと一緒にいることはできないのです。

 だからこそ二人の願望は、少女との別れを組み込んだものにならざるを得ません。
 二度と会うことのない永久の別れを覚悟して、二人はループを繰り返します。

 警報器が鳴り響く中を少女を抱えて走る二人。装甲車に乗って地上を目指し、パトカーに道を崩され、空中に投げ出され。
 けれども今度は装甲車が空を飛ぶ。光を噴出させて、建物に向かってまっすぐ進んだ装甲車。
 破壊侵入した部屋から少女を抱えて飛び出した二人は黄色いオープンカーに乗り換えて、トンネルを通って地上を目指した。
 陽の光が差す外の世界を、三人を乗せたオープンカーが進む。外の空気を大きく吸い込んで、CHAGEは前方斜め上を指差した。
 目指す石棺のすぐ近くまで近づいて、冒頭で観た光景を再現した一行に、その時が近づいていた。

 空中に投げ出されても三人全員が助かる道を模索して、ついに追跡を振り切った一行は地上に至ります。
 その途上で、決して多いとは言えない時間を費やして、三人はお互いについて語り合ったのでしょう。少なくとも、別れを納得できる程度には、言葉を交わしたのだと思われます。

 その中には、自由を得られた少女の願望や、現実世界に戻った後の二人の願望も含まれていたのかもしれません。
 それらは決して交わることのない願望ですが、一方が必ず手に入れたいものは他方にとっては必ず叶えて欲しいものでもあり、そうした気持ちを共有できる重層化された願望なのでしょう。

 地上に出た三人はかつての願望を、つまり「いつか石棺のすぐ近くを車で走ってみたい」という当初の願望と、オープンカーで三人でドライブするという願望を果たしました。
 ずっと一緒に過ごすことはできませんでしたが、その代わりに短時間とはいえ気持ちを通い合わせることもできました。新たな願望も共有できました。
 あとは、最後に残っている願望を実現させるだけで、思い描いてきた願望が全て叶います。

 CHAGEに手を握られながら、自ら立ち上がった少女はそのまま空中で翼を伸ばす。大空のその先を眺めて、それに見入られる少女。
 そして寂しそうな顔つきになって、少女は手の繋がった先の二人を見下ろす。
 ウインクして少女の前途を願うASKAと、少女の掌に口づけをして繋いだ手を離すCHAGE。
 少女は黄色いオープンカーから離れて空を飛び、そのまま上へ上へと飛び上がっていく。まっすぐ前を向いて、笑顔を浮かべて。

 少女は納得して別れを受け入れ、自らの意志で立ち上がりました。
 宙を舞う心地よさと、どこまでも遠くに行ってみたいという湧き上がる感情に心を奪われそうになって、そこで少女は、自分に自由をくれた二人に視線を落とします。

 これは別れではなくお互いにとっての始まりなのだと、理屈では理解していても、それでも。
 言葉は、心を越えない。

 そんな少女に大人の余裕を見せて、二人は少女の門出を祝福することで別れの挨拶に代えました。
 少女もまた気持ちを入れ替えて、二人に見送られながら大空の果てを目指して遠ざかって行きます。

 二人は車を走らせながら、少女の姿が見えなくなるまで見送り続けた。
 少女は雲の上を遙か彼方に向けて飛んで行く。
 車は道から少し外れて停まって、画面が遠ざかって行く。
 そこで暗転して、物語は終わりを迎えた。

 汚染された環境で自由を得ることが、翼の生えた少女にとって真に幸福だと言えるのかは分かりません。
 ただ少なくとも、この別れの瞬間は、少女が今まで生きてきた中でも最良の一時だったのではないかと思います。

 考えてみれば、ミュージシャンは(あるいは芸術に携わる方々はみな)多くの人に影響を与えられる存在ですが、実はそれは、ほんの一瞬の邂逅と別れによって成り立っているのかもしれません。

 だとすれば、翼の生えた少女とCHAGE and ASKAの交流は、ファンと二人の関係性を象徴するものだと言えるのかもしれず、そしてそれは、ジブリのファンと宮崎監督にも当て嵌まることなのでしょう。

 作中世界の設定が苛酷なので、この作品は暗い解釈も可能であろうと思われます。が、できれば私は前向きに受け取りたいと考え、ここまで長々と書かせていただきました。
 と言いつつ、もう少しだけ続きます。

パロディという側面から『On Your Mark』

 作中の展開とは別のところで、本作は視聴者に多くのイメージを喚起する作品であるように思います。

 何が言いたいかというと、例えば三人がオープンカーを走らせて団らんしている場面は『となりのトトロ』(1988年)。
 居酒屋で自嘲気味に、あるいは決意を秘めて呑んでいる場面は『紅の豚』(1992年)。
 少女がASKAの手を離さないまま落ちていく場面は『魔女の宅急便』(1989年)。
 少女が空を上へ上へと昇っていく場面は『天空の城ラピュタ』(1986年)。
 そして地上世界の設定は『風の谷のナウシカ』(1984年)。

 以上は私のイメージなので、同じ場面から他の作品を思い浮かべたり、別の場面からこれらの作品を連想した方もいらっしゃると思います。
 あるいは、崩れていく道を走る装甲車の場面から『名探偵ホームズ』(1984年)を連想したり、同じく監督を務めた『未来少年コナン』(1978年)を思い浮かべる人もいらっしゃるでしょう。

 これらを偶然あるいはこじつけで済ませるのは難しいと思いますし、だとすればこの『On Your Mark』には、宮崎監督が1995年までに手掛けた作品のパロディがふんだんに盛り込まれていると考えられます。
 そしてだからこそ、最後に黄色い車からヒロインに手を振った場面を、見逃すわけにはいかないでしょう。
 つまり『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)です。

 クラリスが、ラストでルパンを追いかける追いかけないについてですか……。(略)映画を見たおおかたの人が納得するのは、別れのシーンで「ワー、私も行く!!」ってしがみついて、(略)くっついていくクラリスなんでしょうかね…。(略)それはそれでいいと思います。
 でも、出会いと別れは同時にあるもんなんですよね。そして、うまい別れ方ができるのなら別れは、すばらしいもんなんです。それは、ルパンと別れたあとのクラリスの生き方にまかされてくるんでしょうが……。ところが人はみんな別れをいやがっている。なぜかなぁ。別れることを否定したら、会うことも否定することになるのにね。(略)
 あと、なぜ女の子と男の子がでてきたら、恋をしなきゃいけないのかって思うようになりましたね。もう少しちがう関係──ふたりとも生きている関係っていうか、それができないのかなあと考えてるわけです。それが描けたら、ほんとうの恋も表現できるかもしれないんですよ。

1983年7月 宮崎駿「クラリス」を語る「あれから4年…」
アニメージュ編集部『あれから4年…クラリス回想』徳間書店アニメージュ文庫、P.156-158

 宮崎監督の意図を損ねたくなかったので、長い引用をさせていただきました。

 さて、監督は1941年生まれなので、『カリオストロの城』が公開された1979年には38歳でした。
 この作品のルパンは年齢設定が高めで、中年の悲哀を感じさせるキャラであるがゆえに、17歳のクラリスに応えることなく別れを選びます。

 一方、この年にデビューしたCHAGE and ASKAは当時21歳。
 そこから年月が過ぎて、短編『On Your Mark』が公開された1995年には37歳になっていました。
 そして彼らのファンの多くは、おそらく20歳前後。つまりクラリスと大差のない年齢だったと思われます。

 ここからは根拠のない推測になりますが、アラフォーだった当時の宮崎監督も、作品を観てくれる層と自分との年齢差について、考え込んだ経験があったのではないかと思います。
 そして同じくアラフォーとなったCHAGE and ASKAにも、類似の経験はあったでしょう。

 これらの外部情報を踏まえた上で『On Your Mark』の最後のシーンを観てみると、この作品にはCHAGE and ASKAを激励する意図もあったのではないかと思えて来ます(きわめて分かりにくい形で描かれていますが)。
 それは同時に、かつてCHAGE and ASKAと同じくらいの年齢だった頃の自分に対するねぎらいでもあり。
 そして、54歳になっていた自分自身に決意を促すものでもあったのでしょう。

 我々は既に、その先の歴史を知っています。
 宮崎監督は56歳で『もののけ姫』(1997年)、そして60歳で『千と千尋の神隠し』(2001年)という、今なお多くの人の心に残る作品を発表しました。

おわりに

 いつもの事ながら長々と語ってしまったものの、これだけ文字数を費やしても『On Your Mark』という作品の魅力を語り尽くすには程遠いような気がします。

 なので読んでいただいて恐縮ですが、本稿だけでこの作品を知ったと思わず、何としてでも映像を観て、あなたなりの感想を持ち帰って、それを大切にしていただけると嬉しいなと思いますし、そのきっかけになるのであれば本稿を書いた意味は充分にあると私は思います。

 この『On Your Mark』という作品を、一人でも多くの方々に(できれば映像作品を苦手としている人にも、7分弱なので是非!)観ていただけることを願いながら、最後は感謝の言葉で締め括りたいと思います。

 ここまで読んでいただいてありがとうございました!