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クラウン*ベスのアメリカ体験記 vol.20

エリザベスは米国でリングリングサーカス”地上最大のショウ”に入団!
前回からの続きです。


リングリングサーカスの芸人達は、プロダクション&タレント担当兼副社長のティム・ホルスト氏によって世界各国からスカウトされた一流のパフォーマーです。
私の他に日本人がいたわけではないけれど、周りにいるパフォーマーは皆人種や出身国が違うので初めてのリングリングサーカスの仕事でも私にとって違和感はまったくありませんでした。入団したての頃は他の芸人達のことはまったく知らなかったけど、リハーサルや日々の生活の中で徐々に知り合いになり文化の違いや性格なども徐々に分かり合えるようになったことは楽しかったことの一つです。

「サイドショー」ツアーのThe Ayala Sistersはメキシコ出身のヘアーハンギングアクト。3姉妹は暗めの照明の中パステルピンクのボディスーツに同系色の大きな蝶の羽をつけていて3リングのそれぞれの中央に立っています。クルー達が一気にケーブルを引くと彼女達の頭の上で編まれたケーブルに結合された髪の毛が上に引っ張られ、美しい蝶は約9メートル上に上っていきます。えー、髪の毛だけで吊られているの〜!って感じです。「吊られている時はもちろん痛いけれど演じている時は痛みは感じないわ」と言う3姉妹。暗い照明の中パステルのコスチュームがとても幻想的で吊られた状態でのリングやトーチを使ったジャグリングも優雅です。彼女達は11歳になったときの若い頃同じ芸のアーティストだったお母さんからこの芸を習い、サーカス一家で有名なAyala家5代目のアーティストになりました。3姉妹のお母さんはいつも娘達と一緒。いつも影から見守っています。このお母さん、ショーの前にはいつもダボダボのサウナスーツを着てアリーナのコンコースをスロージョギングするのが日課でした。芸人は引退したけれど自分にいつも厳しく私がコンコースをジョギングしている時によく会いおしゃべりをしたのを覚えています。


アクロバティックトランポリンアクトでバスケットボールのコメディを演じるユニットThe Torosiantsの芸は私の好きなアクトの一つです。リングマスターがアナウンスをすると私の耳には「ザ・トラサーン」と聞こえます。この芸を創ったのはレフリーを演じるジョージア出身のスーレン・トラサーン。彼は13歳の時大きくなったら絶対にサーカスパフォーマーになるんだと決心しジョージアからロシアのモスクワサーカス学校へ向かって自転車に乗ってこぎ始めました。しかしあまりにも遠すぎて挫折。(ちょっと笑っちゃいました。)その数年後に正式に同学校へ入学しトランポリン科スポーツアクロバティック学位の称号を獲得します。卒業後はアクロバティックトランポリンアーティストとして世界中をサーカス興行しながら独自のユニットを形成していきました。1984年、バスケットボールの映画を見た時に、アイディアが閃いたそうです。バスケットボールの要素をトランポリンアクトに取り入れられないだろうか?と。その7年後、トラサーンのトランポリンバスケットボールアクトが完成しヨーロッパや南アメリカなどで興行します。北アメリカの興行はこの年のリングリングサーカスが初めてだそうです。10名のトランポリンバスケ選手達は、ロシア、ジョージア、ウクライナ、ベラルーシ出身です。リーダーのスーレンはとてもオープンで優しい目をしています。若い選手達の父親のような安心感を持っていてチームはいつも和気藹々としています。私達クラウン達が簡単なアクロバットを使ったギャグを練習していると遠くからずっと見ていて、なかなかスムーズにいかなくて四苦八苦しているとニコニコ笑顔でそれでいて真剣な目つきで近づいてきて、ここをこうするともっと上手くいく、とか、この部分をこうするとスムーズに体が動けるよ、など気さくにアドバイスをしてくれました。スーレンのいう通りにやってみるとびっくりするほど簡単にできて、さすが経験者だ〜、と感謝しました。


スーレンをはじめ、私の今までのサーカスの経験では、アクロバットアーティストは普段プライベートでは静かで内気でそれでいて心のどこかに優しい気持ちがあって言葉はよくわからないけど必死にアドバイスをくれるような思いやりがある人が多いなと感じました。

続く。。。



書いたのは、

エリザベス

1990年CCJ2期卒業生。7年間日本でクラウンパフォーマンス後渡米。アメリカ、カナダで10年間クラウニングを続行。その後10年間マクドナルドのクラウン、ロナルドのアシスタントを務める。現在アメリカ在住。


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