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供養

令和とは何だったのだろうか。
ほのかに輝く街灯の下で、夜の霜を踏む。
令和に入って、私はよく散歩をするようになった。
健康のためと、暇を持て余したためと、こうして小説を書くようになったためだ。

思えば、令和元年も異常気象から始まった。
それに対し人は令和を擬人化し、転嫁し、愛惜した。
古来よりこの国ではそうであった。
八百万の神がおわすと伝えられ、物は大事に、米は残すなと教えられた。
我々は自らの才の及ばぬところには、それを担う何者かの存在を感じ、それらと共生していると考えてきたのだ。

とはいえ、当時は今のように悲痛な事態になると想像だにしなかった。
令和が始まったからと言って私自身何かが変わるわけでもない。
元旦はすべてが新しく、大晦日が遠い過去のように感じるが、元旦の1日前が大晦日で、元旦が開ければ、暇潰しのような日々が始まるのはいつだって同じだ。

いつも使うスーパー前の十字路に差し掛かる。
信号機は往来のないこの時も立派に職務を全うする。えらいなあ、としみじみ思っていると、その上に提灯を模した灯りがあることに気が付く。今まで何度も見てきたはずなのに知らなかった。私には何が見え、何が見えていないのだろうか。

令和が始まっても何も変わらないと言ったが、そもそも名前の意義とは区別することである。
林檎は王林であろうが、ふじであろうが消費者にとっては林檎である。
林檎農家や、林檎が好きな人にとって、それらの名前が初めて重要になってくる。
人の名前だってそうである。
私が小さいころ、保育園の先生にお母さんの名前は何なの?と聞かれ、驚いてしまった。
私にとってお母さんとはその人しかおらず、誰かにとって名前を呼ばれ、区別しなければならない存在であるという視点が欠けていたからだ。
名前とは区別して誰かに説明するためのものなのだ。
名前とは「私」の手を離れるときに生じる。

シャッターが閉まった商店街が見える。
私はこういう場所が好きだ。祭りが終わった次の日、早朝の会場。昼の風俗街。明かりのついていないネオンサイン。
ここに来ると街が眠っているような気がする。

私がよく散歩するようになった理由はもう一つある。
受験に失敗したのだ。
その喪失感を生かすためには、逆説的に自分に向き合うことが最も効果的だった。
私は少々成績が良かった。友人からは勉強を教えてほしいと頼まれ、また私もそれを誇りに思っていた。それは同時に私が完璧であることを規定するものだった。
しかし、失敗したのだ。
全力を尽くしたつもりだった。だが、今思うとどこかに慢心があったのだろうと後悔する気持ちもないわけではない。
私は結果を知った瞬間、逃げ出した。
友人との連絡もすべて絶った。
どうせ10年も経てばどんなに仲良くても会わなくなる。
それが遅かろうと早かろうと一緒だ。ならば私が傷つかないように、私の偶像を偶像のまま残すために。

しかし、家族の繋がりは絶てなかった。
勿論、家族が私を責めたとかそういうわけではない。
むしろ逆だ。私を慰めてくれた。心配してくれた。大丈夫だと言ってくれた。
その優しさが私にはとても痛かったのである。

道端の石に躓く。この1年で私はこんな小石にすら悪態をつくようになってしまった。
結果には必ずしも原因が在るわけではない。厳密にいえば、原因はあるのかもしれないが、その因果関係が真であると誰が言えるのだろうか。

私は家族に逆恨みした。
しかし、その逆恨みの道理が通らないことは自分がよくわかっていた。
その矛盾は時折やってきて私を苦しませた。
苦悩した。逡巡した。寧日を求めた。しかし、すべてを絶った私に救いが訪れることはなかった。
これを原罪と呼べば楽なのだろうか。私が感じていることは皆が背負うべき咎であり、何の特異性もない、だから悩む必要はないのだ、と。
しかし、私がこの葛藤に名前を付けるにはあまりにも内面化しすぎていた。
私の手から離れることを私が拒否していた。
そうこうしているうちに1年が過ぎた。


閑窓から漏れる光はなく、眠った町の遠くに黒の絵の具で塗り潰したような山が見える。
大都市とはいかないが、ある程度栄えているこの街でも、山は落ち着いている。

令和2年。
世間は騒がしかったが、私は今まで通り、じっとしているだけだった。
久しぶりに外に出たとき、桜はもう散っていた。

夏に地元で災害があった。
私の実家は何ともなかったが、ニュースには知り合いの家の近くが映し出されていた。
その惨状に目を奪われていると、一通のLINEが来た。
地元で親友だったやつだ。
「久しぶり!おまえの実家は無事?」
連絡先は教えていないのに、と思う。しかし、嬉しさか、懐かしさか。そのどちらともとれぬ感情からすぐに返信をする。
「久しぶりだね、うん、なんともなかった」
「おー!そうか、よかったわ~。おれの家もセーフ!!」
明るい奴だった。私は少し生真面目なところがあって、その私にこんな陽気な友人ができることは不思議というか、いや、もしかしたらそんなものかもしれない。
「みんなは?」
「今のところ大丈夫そう
 ところで、おまえは大丈夫?」
大丈夫。それだけ返信しようとして手が止まる。
いや、そうだよな。彼はこんなことが聞きたいわけじゃない。自分が連絡を絶った理由を話さなければ。
そう考えて、少しは言わなければと思う心が自分に表れていることに驚く。
言ってしまおうか。
幻滅されないだろうか。
失望されないだろうか。
裏切ったと罵られるだろうか。
まあいいか、これで嫌な返事が来たら適当に済ませて、今後連絡をとることもないだろう。
或いはそうやって罵られた方が静かに軽蔑されるよりずっと楽かもしれない。
そう思い、返事を打ち込んだが、なかなか送信ボタンを押せない。息が詰まる。鼓動が速い。明らかに緊張している。
一度水を飲もう。椅子から立ち上がり、呼吸を整えながら蛇口をひねる。
机に戻ってきたらテレビの音がやけに気になった。
電源を消すと、無音の部屋に心音だけが聞こえる。耳も鼓動している。
何度か深呼吸をし、一思いに送信した。
「あのさ、おれ、受験失敗したんだ」
すぐに返事が来る。
「あ、そうなんだ。意外やね。」
呆気なかった。拍子抜けした。
そうか。
今まで、私を慰めてくれた人は残念だねと慰めていた。
しかし、意外だね、とは私はあなたの実力を知っているし、あなたが失敗したことはただの結果でしかない、だからそれで大丈夫なのだと。
やっと救われた気がした。


黒猫がいる。
私を見つけると人懐こそうにすり寄ってきた。ペットを飼ったことがない私はどうしていいかわからず、とりあえず頭を撫でてみる。気持ちよさそうだ。どうやら正解だったらしい。
ひとしきり撫でてもらうと黒猫はぱっと立ち上がり、先導するように歩き出す。
行く当てが決まっているわけでもないので、ついていく。
方向音痴の私なら迷いそうな路地を猫はどんどん進んでいく。
そういえば。私の父はどんなところでも迷わない人だった。初めて行った旅行先でも近道を見つけ、行ったことがない道もずんずん進む。子どもながらにすごいなあと思い、どうしてそんなに迷わないかを聞いてみると、秘訣があるんだよと教えてくれた。
知らない道を行く時にはね、今まで通った道を一度振り返るんだ。
その景色を覚えておくと迷っても戻って来れるようになる。

黒猫は山に入っていく。山と言っても整備されているので、歩けば10分くらいで登れる。
頂上に向かうにつれて黒猫は走り出す。
私も走る。運動をしばらくしてなかったので黒猫との距離は開く。
先に頂上に着いた黒猫は、私ににゃあと鳴く。
息を切らしながら追いついた私は、膝に手をつき、肩で呼吸する。こんなに走ったのはいつぶりだろうか。
爽快感。心地よい疲労感。達成感。すべてが私を包み込む。
ようやく息が落ち着いた私が顔を上げると
―桜だった。
 冬桜だ。

静謐な夜の底に桜と猫と私がいる。
しかし、それらは不可分である。
夜は私を溶かしてくれる。
水のように溶けた私は、私ではない。桜であり、黒猫であり、夜である。
水には境がないように、私がないとは私は何にでもなれるということである。
私はなにものとも不可分である。
私は誰かとともに生きている。

令和とは何だったのだろうか。
『令和:万葉集「初春の令月にして気淑く風和らぎ」に依り、美しき調和を意味する。』
横溢した活力こそなかったが、私が私であること、そして私が私でないことを知った日々はそう悪くなかったなと思う。

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