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夢の国で、働いてみる。

憧れの場所、夢の国。

ゲートをくぐれば、色とりどりの建物やキャラクターにあふれている。

流れる音楽も心地よく耳に入ってくるし、たくさんのスタッフさんが笑顔で話しかけてくれる。

刺激の強いアトラクションを好む人、あっと驚くようなパフォーマンスが売りのショーを好む人、歩いているだけで楽しめる雰囲気や世界観を好む人、

パレードも魅力的だし、無数のお土産を見ていても飽きない。

「楽しむこと」だけに集中し、楽しみ方は十人十色でいい。ここでは、全ての人を等しく扱ってくれる。

作り手。

当然の話だけど、夢の国にはちゃんと”作り手”が存在する。

「私たちが作っています!!」なんて主張は絶対にしてこないが、確実にその人たちは目の前にいる。

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きっと夢の国が好きすぎて、年に数回訪れる夢の国ではなくて、毎日通う”仕事場としての夢の国”というのを選択した人たち。

毎日通う夢の国ってどんな感覚なんだろう。

駅に着いた時に遠くから音楽が聞こえてきて、ちょっと足早になっちゃう高揚感とかはさすがに無いのかな。

好きなモノと飽きてしまったモノってきっと裏表だから、いつかそうなってしまうことを想像してしまうと、「いつまで好きのままでいられるんだろう」なんてこともよぎってしまう。

実際のところ。

作り手側のみんなも夢の国のまんまというわけにはいかない。

実際、作り手側は楽しむ側と比べるとえらく不公平に見える。ネットで調べてもすぐ出てくる。

研修制度や福利厚生などは公平に運用されているけど、笑顔で話しかけたお客さんが全て好意的なリアクションをしてくれるわけでもないし、時には理不尽に怒られることもあるだろう。

多くの人の目につかないところで、肉体的に負担の大きい仕事をする人もいれば、精神的に自分をすり減らしながらやっている人もいるかもしれない。

こんな視点で夢の国を支えている側というか裏側を意識すると、同じ夢の国という場所に立っていても随分とギャップがあるように思う。

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その違い。

僕はよくこの”夢の国の話”を例え話にして、これから社会に出ていく学生に社会を説明する。

学生のうちは学費という費用を支払って、平等にサービスを受ける立場を得ているけど、社会に出れば給与というお金をもらって、誰かにサービスや商品などの成果物を提供していかなくてはならない。

楽しむ側とは全く違うのだ。

お金をもらっている以上、正解は自分の正しいと思ったことではなく、社会やユーザーが思ったことだ。

夢の国の作り手も、様々な不公平・理不尽を経験しながらもお金をいただいているユーザーに公平にサービスが提供されることに努力し続けなければならない。

ユーザーが公平に扱われるべきなのであれば、作り手側は不公平と捉えてもいいのかもしれない。

作り手を続ける理由。

それでもなぜ彼らは、夢の国に対して楽しむ側へ戻らずに作り手側を続けるのか?

夢の国という価値を提供することで満たされる欲求ってなんだろう?

僕はきっと”プライド”なんだと思う。

自分が好きだったモノが、たくさんの経験を通じて愛着のあるモノや、尊敬できるモノ、感謝しているモノへと変革していったのではないだろうか。

趣味嗜好の範囲を飛び越えて、自分の人生において大切にしているものをより多くの人へ届けている、提供しているという自負こそが、その人のプライドを満たしていくんだと思っている。

何人かに聞いた。

「私が小学生の頃、両親のことでひどく悩んでいた気持ちが、夢の国を訪れたことで一気に晴れた。同じように誰かの気持ちを曇りから快晴にしてあげるような仕事をしたい!

「家中にぬいぐるみが増えていく中で、いつしか”もっと集めたい”から”作ってみたい”に変わった

みんな、好きをそれ以上のモノに昇華していると思った。これってその人の人生においての豊かさそのものだと思う。

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人生を豊かに。

「本当は夢の国なんて無い」

こんなことは大人になれば、ほとんどの人がわかっている。

でも自分の人生が夢の国になることは無くても、豊かにしていくことは努力次第。「好きなことを仕事にしよう」なんて言う大人も増えたけど、プライドを持てるように仕事する方が人生は豊かになるのかもしれない。

”誰かに誇れるようなことを仕事にする”ってどんなことだろう。

人によって違うし、何かを誇れるような心をどうやって育むか?ということに答えは無いけど、確実に言えるのは

愚痴ってばかりいないこと、

自分のことばかり主張しないこと、

納得いかない仕事でも手を抜かないこと、

簡単にやめないこと、

そして、常に誰かにとって優しくあること。

「そんなの当たり前」と聞こえてきそうだが、周囲の愚痴ばかり言っている、目が輝いていない、カッコ悪い大人をよく見て、その後に自分自身にも問いかけて欲しい。

「不公平に嘆かずに、プライドが持てるような努力を続けているだろうか?」

自分の目に映る毎日を、これから訪れる未来を、そして社会全体を豊かにしていくのは僕たちひとりひとりのプライドだと思う。

夢の国なんてどこにも無いのだから。



おまけ。

いつも言いますが、「どうしようもない不公平」についてはみんなで解消していくべき社会の課題であって、当人の能力不足とかではないと思います。

僕自身は解決する側であり続けたいと思っています。

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