ショートショート「月夜の影」


霧が立ち込める満月の夜、街外れの古い洋館に一筋の影が忍び込んだ。静寂を切り裂くように、足音が木の床板を踏む音が響く。誰も住んでいないはずのこの屋敷で、一体何が起こっているのだろうか。

エミリアは探偵だった。彼女のもとには、いつも不可解な事件の依頼が舞い込んでくる。しかし、今夜の依頼は特別だった。何十年も前に失踪した少女の幽霊が出るという噂のあるこの洋館に、一人で調査に来たのだ。

洋館の門をくぐると、冷たい風が彼女の頬を撫でた。月明かりが屋根の上で光り輝き、まるで洋館自体が生きているかのように見えた。エミリアは深呼吸をし、勇気を奮い立たせてドアを開けた。古びたドアは重く、ぎしぎしと音を立てながら開いた。

エミリアが屋敷に足を踏み入れると、内部は時間が止まったかのように埃まみれだった。家具はそのまま、壁にかけられた絵も、何十年も手入れされていない様子だ。彼女は手に持っていた懐中電灯を点け、廊下を進んだ。

「エミリア・ベネット、あなたの名は知っている。」

突然、背後から声が響いた。エミリアは驚き、振り返ったが、そこには誰もいなかった。しかし、その声は確かに聞こえたのだ。

「誰だ?」

彼女は問いかけたが、返事はなかった。エミリアはさらに進むことにした。彼女の直感が、この屋敷には何かが潜んでいると告げていた。

二階に上がると、彼女は一つの部屋の前で立ち止まった。扉には少女の名前が刻まれていた。アンナ・リベラ。その名は依頼の手紙に書かれていた名前と一致した。エミリアはそっとドアノブを回し、中に入った。

部屋の中は驚くほどきれいだった。まるで誰かが今でもここで生活しているかのように整えられていた。エミリアはデスクの上に置かれた古い日記を見つけ、手に取った。日記にはアンナの日々の出来事が詳細に書かれていたが、最後のページだけが不自然に破り取られていた。

その時、背後に気配を感じたエミリアは振り向いた。そこには透き通るような姿の少女が立っていた。アンナ・リベラだった。彼女の目は悲しげで、何かを伝えたそうに見つめている。

「あなたは…アンナ?」

エミリアがそう問いかけると、少女はうなずいた。

「助けて…」

その一言を残し、少女は消えた。エミリアは急いで日記の最後のページを探し、床の隅にそれを見つけた。そこには恐ろしい秘密が書かれていた。

エミリアはアンナの日記の最後のページをじっくりと読み始めた。そこには、アンナの父親であるドクター・リベラが行っていた「禁断の実験」の詳細が記されていた。

ドクター・リベラは天才的な科学者であり、彼の研究は時に常識を超えるものであった。彼が取り組んでいたのは、人体の再生能力を極限まで引き出す技術だった。つまり、不死に近い状態を作り出すことを目指していたのだ。

彼の実験はまず動物で行われ、驚異的な成功を収めていた。負傷した動物が瞬く間に回復する様子は、まさに奇跡のようだった。しかし、動物実験で成功を収めたドクター・リベラは、さらに野心を抱き、実験を人間に適用しようと考えた。

アンナの父は、娘の健康状態が悪化していたことを知っていた。彼女は不治の病に冒され、余命わずかと宣告されていた。絶望の中で、ドクター・リベラは禁忌を破り、アンナに実験を施すことを決断した。

アンナの日記には、その日のことが生々しく描かれていた。彼女は父の実験室に連れて行かれ、特殊な薬剤を投与された。父親の目には狂気と愛情が入り混じっていた。アンナは最初、奇妙な感覚に襲われたが、次第に体が軽くなり、痛みが消えていった。

しかし、その平穏は長くは続かなかった。アンナの体は次第に異常な反応を示し始めた。細胞が異常増殖を起こし、全身に激痛が走った。ドクター・リベラは焦り、実験を中止しようとしたが、もう遅かった。アンナはその場で命を落とした。

ドクター・リベラは娘を失ったショックで自ら命を絶ったとされていた。しかし、彼の実験の痕跡はすべて消し去られ、真実は闇に葬られた。アンナの魂は、父の狂気と愛の狭間で彷徨い続けていたのだ。

エミリアは全貌を理解し、涙を流した。彼女はこの悲劇を世間に公表し、アンナとドクター・リベラの魂が安らかに眠れるようにすることを決意した。禁断の実験の真実は、ついに光を浴びる時が来た。

エミリアは屋敷を後にし、夜の街へと戻った。月明かりが彼女の道を照らし、影は一層深く長く伸びていた。真実を知った彼女の心には、アンナの声が静かに響いていた。

「ありがとう…」

エミリアはその声を聞きながら、次なる調査の準備を始めるのだった。洋館は再び静寂に包まれ、次なる訪問者を待っていた。

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