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❉ツクヨ視点②

(月夜視点)

  生まれてから僕には記憶がある。そう、前世の記憶が。でもその記憶もあまり良いものでは無い。
 だからなのか、僕は歩き出すまで、喋りだすまでにすごく時間が掛かった。
 歩き出す恐怖と喋る恐怖は何故か消えていなかった。
 頭に手を乗せられるときの仕草などには恐怖心が芽生えなかったのに。
 きっとその辺りは、伊弉諾尊様が封印してくれたのだろう。どんな切欠で蓋が開くかは解らないけど。それでも子供の頃に頭に手を乗せられるときの仕草でビクビクしていたら、子供じゃないって見られるかもしれないからね。
 どんな事に恐怖心が出てくるかなんて、きっと生まれる前に何かあると認識されるに違いない。
 うちの両親はそういう所凄く敏感だから余計に。

 生まれて1歳半越えた辺りで、僕が歩かない喋らないで不安になった両親が大きな病院の小児科へ連れて行った。勿論いろんな本を読破してる僕にとって、小児科とはなんぞやと言う質問はしない。子供の為の科なのだから今の僕が連れていかれる病院と言えばそこくらいなものだ。
そこには、お父さんの同級生の天照先生が居た。本名は、塩椎 天照先生。
 お父さんは、先生に 僕があまりにも喋らないし掴まり立ちもしない、勿論歩き出しもしない。
 そんな不安を先生にぶちまけて居た。流石に僕もそろそろ歩き出して良いのかなとか、喋っても大丈夫なのかなとか色々思う事はあって。
 でもなんかハキハキ喋りだしたら不気味に思われたらどうしようとか色々考えるわけで。結局ズルズルと喋りだせなくて歩き出せなくてで生まれて1年半グズグズしてたらこんな事に…

 一応、病院に来ているから先生の言う事を聞いてレントゲン撮影したりして、足の機能は正常だと太鼓判も押された。
 耳も聞こえてるって言うのも解ってる事だし。
 ただ、お父さんは先生にすごく聞き分けのいい子でとか自慢してた所に天照先生から僕に向けて

 「月夜くんだったけ?大丈夫だよ。歩く意志があるなら立つ練習をして歩いてみようか」「ねっ!」

 って。先生は僕が言葉を理解してることに気づいてくれた唯一の人だ。

 だから僕の中で、『あぁ~歩いて良いんだ。』って思って頑張って立つ練習をその日からするようになった。歩き出す分には2か月と掛からなかったけど、それでもフラフラしながら歩いてる。
 喋りだす事に関しては、僕は言葉は理解してるけど皆は僕が喋り始めないからなのか話しかけられることは無く、唯一声を掛けてくれるのは暁叔父さんだけだった。

 お父さんの弟さんなんだけど、よく僕に話しかけてくれる。返事をしなくても肯いたりして反応するからきっと暁叔父さんも僕が言葉を理解できるのは気付いてるはず。
 僕が喋れない理由を、天照先生がお父さんに説教してた。

 「誰か家族の中で月夜くんと会話している人はいるかい?」と「赤ちゃんや子供は話しかけてあげないと発音することは難しいんだよ。音を拾ってそれを言葉にして返すから喋れるようになるのに。誰も話しかけてないなら喋れなくてもなんらおかしなことではないよ。阿須波、肝心なところでお前も抜けてるよな。( *¯ ꒳¯*)ハハハ」

 説教って言う程のものじゃなかったけど、それでもだ。先生に僕も同意だよ。
 家で僕に喋り掛けてくれるのは、暁叔父さんくらいなもので。
 だから余計に家族の皆に無視されてるのかと思ったくらいだよ。

 伊弉諾尊様が次の家族はとてもいい人たちだって聞いてたのに、拍子抜けしてたんだけどそういう事だったんだね。なんて。でもお礼は言わないとね。

 だから僕の初言語は、「ママ~」ではなく「てんてーあぃあとー」になった。

 これは紛れもなく両親たちの落ち度だ。初言語は先生への感謝の言葉。

 

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