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【短編小説】素数に対するクーデター


 俺は素数そすう【8209】。

 そこらへんの数字とは違って特別な存在だ。
 俺は俺自身でしか割り切れないし、他の数のもとにもなっている。

 ほら、あの土下座している【2805】を見たか?
あわれだなー。17、11、5、3の素数がないと自分を保てないんだぜ。

 ん? そこで鎖につながれているのは誰だ?
……なんだ、【-12245】か。自然数にもなれない下等なやつめ。

 素数にあらずんば数字にあらず。
 この世界は俺たち素数の天下だ。



「これ以上、素数の横暴は許せない」

村のおさ【-1】は重々しく言った。皆が口々に賛同する。

「そうだ! 我々マイナスの数には自由がない」

「なぜマイナスというだけで差別されないといけないのか。自然数のやつらと大差ないのに」

「最近では自然数たちも素数にしいたげられていると聞く。一緒に手をくんだらどうか」

「それがいい。数の上ではこっちが圧倒的に勝ってるんだ。素数のやつらを叩きのめせ!!」

 マイナスの数達は自然数と手を組み、激しい戦いのすえ素数を倒した。クーデターは見事達成され、新しい時代がはじまった。……はずだった。




(なぜこうなってしまったのだろう)

 村のおさ【-1】は、素数【8209】の亡骸なきがらを土に埋めながら思った。クーデターに成功した数字たちは、今までの怒りから素数を虐殺し、この世から一人残らず抹消した。

 それがどのような結果になるか考えもせずに。彼が必死にとめても無駄だった。

 今、町はクーデター成功のお祭りさわぎになっている。あと、数時間、持つか持たないかだ。
 
 彼はクーデターの引き金となった自分の発言を激しく後悔した。




 その時は突然やってきた。
 まず、ぼくの隣で酒を飲んでいた親友の【-13】が突然血を吐いて椅子から転がりおちた。

「おい! どうした!? しっかりしろ!」

……返答はない。既に【-13】は息絶えていた。嘘だ。

 呆然としていると、斜め前の席にいた【-256】さんが胸を押さえて苦しそうにうめきだした。

「おじさん! 苦しいの!?」

「あぁ…。もうたぶんだめだ。おれの家、お前が使ってもいいからな。お前はおれの死んだ息子によく似……」

 そこでおじさんは息をひきとった。他の数に差別されがちなぼくを温かく守ってくれた人だった。

 悪夢は終わらなかった。酒場にいた数字たちが次々と倒れていく。
 ぼくは耐えきれず外に飛び出した。

……外はひどい有り様だった。お祭りさわぎで多くの数字がごった返していた町の通りが、今やもう動かなくなった多くの数の死体で埋めつくされている。


(……ぼくだけなのか? ……生きているのはぼくだけなのか?)

 そんな考えが頭をよぎる。
 ぼくは必死でまだ動く影をさがした。



「……おさ!」
 通りの終わりにある、静かな墓地に【-1】はたたずんでいた。思わずかけよる。

「よかった! 生きてたんだ」
ぼくはこの賢くて優しい、若いおさが大好きだった。

「……0か。そうか。お前も死なないな」

「ほかに生きている人は!?」

「ほぼ全員死んだ。私たちを構成する素数を殺してしまったからだ。残ったのは、【-1】の私と、【0】のお前と……」
 
 おさはそこで言葉を切って、通りからやってくる数字を見た。

 ぼろぼろの服装で、でも力強く歩いてきたのは【1】だった。体中に傷やあざがある。思わず絶句して眺めていると、ぼくの視線に気づいたのか、彼女は笑って明るく言った。

「クーデターのとき、素数だと勘違いされてひどい目にあったんだよ。まったく、今まで素数たちにもさんざん狙われてきたのにさ」

 素数によく似ている【1】は、素数たちから目の敵にされていると耳に挟んでいた。クーデターでも理不尽な目にあっていたとは知らなかった。

「……俺も生き残った」
 影のように物陰から姿を現したのは【虚数iきょすう アイ】だった。

虚数きょすう……! 聞いたことはあったけど本当にいたんだ」
【1】が目をまるくして言った。

「あぁ。……実体がないからどこに行っても気味悪がられて、一人でひっそりと暮らしていた」

 彼の体は半透明で、後ろの風景がすけてみえていた。

「……あんたも苦労したんだね」

「……ありがとう。そう言ってもらえるのは久しぶりだ……。ん? 前にそう言ってくれたのは誰だったかな……」


 
4人の間に、沈黙が訪れた。
 

「……これからどうしようか」
ぼくは誰ともなしにつぶやいた。

「……あたしはもとの世界を創り直したい。今度は差別や殺し合いのない世の中にしたい」

「賛成だ。時間はかかるだろうが、新しい秩序を俺たちで作ろう」
 【虚数iきょすう アイ】がすぐさま同意すると【1】の顔がぱっと嬉しそうに輝いた。

「うん……! もう不公平な世の中はこりごりだ」
 ぼくも続けて同意した。

「あぁ…そうだな」
 おさもうなづいたが、その顔には少しかげりがあって、なんだか胸騒ぎがした。

「でも、うちらだけじゃどうしようもないよね……」

 たしかに、ここには【-1】、【0】、【1】、そして【虚数iきょすう アイ】しかいない。足しても引いてもかけてもどうにもならない。

「……一つ案がある」
 おさが言った。

虚数iきょすう アイ。おまえ、自身を2乗するとー1になるだろう。つまり4乗すると1になる」

「……え?」

「なんだ。知らなかったのか。おまえさえよければ4乗して1になれ。そして【1】と一緒に自然数の世界を創れ。
 そのいずみの水を3口飲めばいい。ひとくちめで2乗、ふたくちめで3乗、さんくちめで4乗だ。本来ならタブーだが、今はいいだろう」

「わ、わかった」
 虚数iは頷き、真剣な表情でその泉の水を3口のんだ。

「……! ……体が! 体がある!」

 彼の体はもう半透明ではなかった。4乗された虚数ⅰは実体を手に入れたようだ。

「よし、1になったな。これで【1】と二人で数を生み出せるだろう。……まあ、もちろん二人の気持ち次第でいいと思うが」

「……え?」
 虚数ⅰが思わず【1】を見ると、少しだけ頬を赤く染めた彼女は、彼を見つめて大きくうなずいた。


「0、お前は世界の均衡を見守っていてくれ。もう二度とこんな過ちが起こらないように」

「わかった」
ぼくは力強くうなずいた。

「……おさはこれからどうするの?」

「私はもう身を引く。山にこもって、後世に伝えるべく今までの歴史をすべて書き残したら、今回の責任を取って自害する」

「……そんな! だめだよ死ぬなんて! そしたらマイナスの世界は?」

「マイナスの世界はなくても問題にならないし、もう作ることもできない」

「……いやそんな、でも死ぬのだけは!」

 【1】も虚数ⅰも、口々におさがこれからの時代に必要だと強く訴えたが、彼は静かに微笑むだけだった。

 話が平行線になりそうなとき、

「あたしも一緒にいって歴史の編纂を手伝う。そして一緒に死ぬ」

 爽やかな少女の声がした。……声がした方を振り向くと、見知らぬ数字が立っていた。歳は15,6だろうか。年齢の割に大人びて見える。

「……あなたは?」

「あたしはー1。さっき虚数ⅰが泉の水を飲んで2乗された瞬間に、彼と分離して形になった」

「……確かに俺と似ているな。俺の妹みたいなもんか」
 今は1となった虚数ⅰが興味深げにうなずく。その横で【1】もうなずいている。

「あたしはおさに恩がある。どこにも行くあてのなかったあたしに家と畑をくれた。兄はすっかり忘れてたみたいだけど。今度は私が恩を返す番よ」

 少女は、そっとおさの手をとった。




 【1】と、4乗されて1になった虚数ⅰは、まず【2】を生み出し、次々と自然数の世界を創っていった。

 おさ【-1】と、虚数ⅰの2乗から生まれた-1は、山でひっそりと歴史の編纂をつづけた。長い作業が終わったあと、おさは死ではなく、彼を献身的に支え続けた少女と共に暮らすことを選んだ。

 やがて二人は【-2】を生み出し、ゆっくりとマイナスの数の世界を創っていった。

 そのようにして創造された世界は、世界の均衡をつかさどる【0】の働きもあり、秩序のある美しいものとなった。

 それが今の数字の世界である。
 そこには大小関係こそあるものの、差別や不平等はない。
 人々はその美しい世界に魅了され、今もその秩序を解明しようとしてやまない。

< 完 >




 今回はやや長くなりましたが(約3400字)、貴重なお時間をいただいて最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

 差別や争いのある人間の世界と違って、数字の世界はひたすらに規則正しく、秩序があります。もし数字たちが秩序を作り上げられたのなら、人間もきっと、秩序のある世の中を作り上げられると思います。

 今日も明日も、みなさまが幸せな一日を過ごせますように!

 以下、まめ知識を書いておきます! 興味のある方は(いないかもしれませんが(笑))お読みください。

  • 素数そすう……1と自分自身でしか割り切れない自然数のこと。どんな数でも素因数分解できるため、すべての数のもとになっている最も基本的な数といえる。なお、1は素数ではない。

  • 虚数|《きょすう》……実数ではない想像上の数。虚数の登場によってすべての2次方程式を解くことが可能になった。虚数を表す単位として「i」が使われ、「i」の2乗は-1となる。

参考文献:笑わない数学(NHK「笑わない数学」制作班編、KADOKAWA)空間情報クラブ 虚数とは 


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