哺乳動物のメス

これ、いまの時点では、賛同してくれる人も共感してくれる人もほとんどいなさそうだけど。
わたしとしては重要な事実なので、
書き残しておきたい。


まずね、
男は男同士で連帯し、
『女子供には理解できない』
世界を作る。
専門用語で
『ホモソーシャル』っていうんだけど。


たとえば、
『あの子かわいい、ヤリたい』
とかは男同士でいるときしかできない会話だよね。そこに女性がいるときと、オトコしかいないときとでは、下ネタや猥談の意味がだいぶ変わってしまうことはよく知られていて、男同士で『連帯感を深める』ためだけに不必要に性的な話題(女とヤッた話)を出したがるとか何とか。
猥談、下ネタ関連以外でも、
不可解な上下関係があったり、
敬語の序列とかも決まっていたりして、
部外者には理解不能な世界を作って、
男同士で絆を深めるのだという話。




わたし自身は、
『男性として』ほかの男たちとホモソーシャルな関係を形成したことは一度も無いので、けっきょくは聞いた話なんだけど。
たしかに街を歩いていると、
恋人でもないのに男同士で連れ立って遊んでいる連中ってたくさんいるし、彼らが集団でキャバクラや風俗に行くところを見ると、男同士でつるんで遊べれば、女の子はお金を払って呼んできた部外者でいいらしい。
この『ホモソーシャルな関係』というのは会社とか大学とかでも、いつのまにか気軽に形成されていて、そこでは『男ならかならず女とヤリたいはずだ』という世界観が基本前提なので、ホモセクシャル(ゲイ/男性同性愛者)の人は、偽装するのに苦労させられるらしい。
以前LGBT関連の本を大量に読んでいたとき、ゲイとしていちばん苦痛なのは、ほかの男性達に対して『自分も女性が好きだし、女とヤリたい』ふりをしなくてはならないことだ、と。そんな体験談がすごく多かった気がするね。
それでね、
ゲイだとバレた(またはカミングアウトした)瞬間、仲間には入れてもらえなくなるんだってさ。
その理由としては、
『男ならばかならず女とヤリたいはずだ』
という世界観に同調できないから。
つまり、
男同士の世界では、
性欲や性体験の誇示はコミュニケーションの一環であり、
そこに加われないものは、
仲間には入れてもらえない。
、、、らしい。
(※くれぐれもわたし自身は実体験してないので歯切れは悪いです)



LGBTとか性の多様性とかの観点から、
この『ホモソーシャルな関係』に関しては、ずいぶんと批判的に語られることも多いものだが、
同性同士でつるむことは、
ある種、自然なことではあるし、
そもそも、
『女を見たらヤリたくなる』
のが男の摂理だとしたら、
友人として関われるのは男同士だけ、
ということになるのではないか??



『男と女の友情は成立するか?』
などと真剣に議論されてるのは、
根本的に言って、
『男と女は別の種族だから』
なのだろう。



男同士で仲良くなると、
いつのまにか、
言葉遣いも雑になり、
お互いを貶め合うコミュニケーションをするようになる。
それがわたしにとってはかなりの苦痛だったので。けっきょく、男と仲良くなっても面白くはない、という結論になってしまって。男性時代のわたしはけっきょく一度もその『ホモソーシャルな関係性』を体験しませんでした。



いまではわたし、
初対面の男性からは、
『女性として遇される』のが通常になってますけど。
それでも、プライベートで男性と会うことは、一切しないですね。


恋愛、という意味での『出会い』の回路はもう閉鎖済みなので。
そうなると、あれ?
恋愛対象(もしくはセックスの相手)になり得ないことが100%確定しているなら、もはやオトコと会う意味なんて無くない???



男性同士の人間関係ってかなりワンパターンで世界観もおそろしく狭い。
男同士でつるむのに、
『女とヤリたい』が世界観の前提とは
ほんとうにワンパターンすぎますね。
だけど、
それを変える方法はあるのか?
って言ったら、
無いんじゃないかな??
『女とヤリたい』が基本前提だからこそ、
ホモセクシャルはもうダメで、
もちろん哺乳動物(イヌとか)のオスも
対象外。



あのさ、
男尊女卑が基本の世界で、
『男として』生きることは、
ニンゲンは万物の霊長である、
という世界観にそのまま乗れるってことなのね。
ニンゲンに優越する種族はいないし、
性別でいえば、
女は差別されるけれども、
男は差別されない。
『ニンゲンの男である』
というだけで、
被差別属性を何も持たない位置に立てるのよ。
そうして、
男というのは、
世界観がやけに狭い。



でね、
ここから先はわたしの仮説です。
というか、
わたしとしては実体験そのものだし、
自説に自信もあるけれども、
いまの時点では、
賛同も共感も得られないことも、
分かっています。



さきほど、
男同士の連帯について話題にした。
じゃあ、女同士だとどうなのか??



わたしは、

性転換者(性同一性障害MtF)としては、
有り得ないほど上手くいった例だと思う。
いくら、
『女性になりたい』と言ったって、
ふつうはこんなところまで女性化したいとは思わないはず。
というか、
純女(生まれつき女性)でも、
たいていは、
見て見ぬふりをしている部分です。



男性が、
男尊女卑を前提に、
『自分は男性である以前に人間だ』
と思っている
(だから当然、女性を差別しているなどとは自覚していない)
のに対して、



女性は、
『自分は人間である』
という以前に、
女であり、メスであり、
はっきりと、そちらの側面のほうが、
はるかに強い。



それも、
もっとはっきり指摘すると、
『メス』というカテゴリーは明白でも
『人間』というカテゴリーはそれほど明確ではなく、
つまり、
『人間のメス』
という以上に、
『哺乳動物のメス』
なのです。


野口整体の創立者の先生が、
それをそのまま述べていて、
ニンゲンの女というのは、
ニンゲンの男とは似てもつかない存在で、
それよりもメスのトラのほうが、
まだ似ている、
などとはっきり発言してますね。



それでね、
話の核心。




男同士で連帯するには、
『女とヤリたい』『女とヤッた』という、性欲と性体験(つまり男らしさ)を前面に押し出さないと仲良くなれない、
という世界観の狭さ
というか、連帯できる範囲の狭さ
をさきほど話題にしましたが、
じゃあ、
女同士の連帯は??




女性化して、
女性の姿になって、
女性の目から見た世界観になって。
それで、
ほんとうに衝撃的だったことは。




女というのは、
全人類の全女性に対して潜在的には同胞意識を感じていて、
だから見ず知らずの女性の性被害にいちいちショックを受ける。
それどころか、
『哺乳動物のメス』全般に対して、
『生き物として同類である』と感じる感性をはっきりと有していて、
だから、
たとえば、
畜産動物のメス、牛や豚が、どのような扱いを受けているかを知って、ひどくショックを受けました。
無理やり妊娠させられて、
生まれた子どもは育てさせてもらえず、
ひたすら搾乳される、とか。
ひたすら子どもを産まされて、
産んだ子どもは取り上げられて殺されてしまう、とか。
どうしても、自分がそうされているところを想像せずにはおれなくなり、一時期はほとんど錯乱状態でした。
動物がかなり過酷な虐待を受け殺害されている、という事実に対して本気で怒ったり悲しんだりできるのは、どうしても女性だけ。
なってみてわかったけど、
『自分と同じ生き物が』
ひどい目に遭わされていることに、
ほんとうに苦しむのです。



ほんとうにこれは、
なってみて初めてわかったこと。
男性だったときは、
表向きはどんな綺麗事を言えても
(というか、わたしは綺麗事は言わない人でしたけど)
やはり、牛や豚は、人間とは別の生き物だと思っていました。
人間は文明を持っているし言葉を操れる。だからスマホを開いて動物への虐待の酷さについて書かれた記事も読めるけど、牛や豚にはそれはできない。
それを絶対的な差異だと思えるのは男だからで、女の身体になってしまった今では自分が産んだ子を連れ去られるのはたまらなく苦しい。目で見つめて舌で舐めるくらいはさせてほしい。



たぶん、
女の身に生まれたら、
これは誰もが持っている能力です。
ニンゲン、というカテゴリーではなく、
メス、すなわち産んで育てる性への連帯感と同胞意識。



でも、
こんなものを直視していたら、
あまりにも苦しくて、
とても身が持たないから。



多くの女性は、
自分自身を男性化させることで、
この世界を生きています。
そんなことをすれば、
乳がんや子宮や卵巣などの婦人科系の疾患がものすごく増えることになりますが、
そうだとしても、
女であることは、
とてつもなく、苦しい。



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