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(ネタバレあり)新しい映画の旅:シン・エヴァンゲリオン劇場版

この冒頭部分に意味のあることを書くとtwitterとかに貼った時に表示されちゃうから適当にお茶を濁しますよ!

免責事項:この記事はネタバレについての考慮を行いません 

よろしくお願いいたします。

見た時の状態

・初日の午前中に鑑賞(初回ではない)。
・TVシリーズからほぼリアルタイムに初見。
・前日に旧劇場版を見ました。
・新劇場版の3作は1月に金曜ロードショーで放送された時に見ましたが、仕事をしながらだったので集中して見られていません。

序盤:生きる人々

冒頭のパリでのスペクタクルシーンのあと、Qから比較的素直に接続した話として、ラストシーンで3人が歩いていった先、なんとか生き延びている人々が暮らす村の話が始まりました。まずこれにほっとしました。Qの時のように、また唐突に状況不明なところから話が始まる可能性もあると思っていたので。

そしてそこで、時間通りに歳を重ねた(28歳でいいのかな?)トウジとケンスケとの嬉しい再会。劇中でトウジが「生き延びるためにはガキではいられなかった」と語る通り、2人は年齢相応あるいはそれ以上に老成し、落ち着いた人物となっているように見えました。特にケンスケの喋りがスローテンポであった事が印象的です。

再会した2人は、Qのラストの直後、まだカヲルロスから立ち直れていないシンジを、責めず、急かさず、受け入れ、見守ります。この2人のあり方、私はとても現代的、「現代の物語のキャラ」的だなと思いました。対して、90年代の、自意識と摩擦の物語の空気を引きずるシンジ(この時点ではアスカもこちら側に見えました)が対照的で、私にはこの構図が、あたかもエヴァという物語が、90年代から20年代に引きずりあげられているかのように思えました。

レイ(ではない)は、この村で、人間らしい所作について、村人から1つづつ学び、人間性を獲得して、そして、シンジの目の前で人間として死にます。この死を受け入れることがシンジを立ち直らせ決戦に向かわせるのですが、この、人間性を獲得していく描写がめっちゃ良かったんですよね。レイ(ではない)の表情が、声が、所作が、変わっていく事が丁寧に描かれる。この熱量を、シンジを立ち直らせるためのスイッチとしてだけ使う。なんて贅沢なんだ。そう思いました。

余談:父の話

村にはケンスケの父の墓がありました。ケンスケはシンジに語りました。ケンスケが父とろくに話もできないまま終わってしまった事。だから、父と話せるならそうした方が良いという事。これもシンジがゲンドウと向き合う決心をするトリガーなのですが、私はここにもう1つ見たものがありました。というのは、

私自身が、先日父を亡くしたばかり、という状況なのです。

私はもともと父とそれほど仲良くはありませんでした。感覚のずれを感じることが多かったし、ろくでもない一面があったりもしました。中学〜高校くらいの時は、父の仕事のことで両親がよく揉めていました。その頃から母が専業主婦をやめ働きだしたのも印象的です。

26歳で上京してからは、会話をする機会はほとんどありませんでした。2年前に福岡に戻ってきてからは、少しだけ顔を合わせる機会は増えていましたが、コロナ禍でまた疎遠になり、そのまま終わってしまいました。

私は福岡に戻ってくる時には長く勤めた会社をあまり良くない形でやめていて、昔よりも人生には色んな事があることを実感できていたので、父の仕事上の苦悩であるとか、そういうことには共感を示せるようになっていたと思います。なので、もっとそういう話を聞き出して、頷いてあげることができたんじゃないか。でも、できないまま終わってしまった。そういう心残りができてしまっています。

あの時のケンスケの言葉が唐突に自分の現実とリンクしてしまい、泣きはしませんでしたが、心に針が刺さってしまったのでした。

中盤

実は中盤の、ネルフ本部に殴り込んでゲンドウがいるところに到着するまでの事はあんまり印象に残ってないです。

派手なシーンで気持ちよくはあったのですが、前3作とあまり代わり映えしない感じがしました。あと、途中で流れた曲はなんかの曲なんだろうなー、くらい。

終盤(1):浮き立つ変化

ゲンドウに対峙する以降の流れは明白に旧劇場版の流れに似せて作ってありますが、それ故に、「何が違うのか」が浮き立って見える効果がありました。

だから私は、鑑賞直後にどうしてもこれだけは言いたくなったのです。

リツコは前回は撃てなかった銃弾を撃ち、ゲンドウの頭を吹き飛ばしました(ゲンドウが人外化してて死ななかったけど)。

ミサトは前回のようにシンジを無理やりエレベーターに押し込むのではなく、抱擁でシンジを送り出し、自らもその支援を体を張って行い、息子を想いながら散りました。(あの息子の存在が、ミサトの心の軸の変化として印象的でした)

旧劇場版と同じように、そこから精神世界の話に移りますが、そこで行われるのは、前回のようなどろっどろの内省ではなく、シンジとゲンドウの対話でした。シンジとゲンドウのあり方が実は近い、というのは前回も示唆されていましたが、今回はより直截的に、ゲンドウが「あの電車」に乗って心情を吐露しました。

私は、先述の通り、「大人は大人で割と色々としんどい」という事を今は知っていますし、「精神が未成熟な部分は割と長く引きずる」というのも実感としてありまして、このゲンドウの自分語りには、気持ちが寄っていく感覚を覚えました。

これらを通じて、前作が持っていた「時代の空気」へのリンクを、同じ素材を使って、その経年による変化に合わせて編み直している。そのように感じられました。「世代の空気」という方が的を射るかもしれませんね。

終盤(2):エヴァを丁寧に殺す儀式としてのシン・エヴァ

黒い巨人を指して「現実と虚構が入り混じったエヴァ・イマジナリー」と呼んでいましたが、あれは素直に「俺たちが見ているエヴァという作品」と受け取っちゃって良かったんでしょうかね。以下そのつもりで書きますけども。

こんなん全部つくりもんや!!と言わんばかりに、過去に登場した第3新東京市(だっけ?)、シンジたちの部屋、教室などの「舞台」を破壊しながら進むシンジとゲンドウの決闘。

過去シリーズのアニメ素材も否定するために使われていました。(ごめんなさい、この辺の記憶が薄れています)

主要登場人物のそれぞれに、自分とは異なるハッピーエンドを与えて送り出し、「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」で本当にすべてのエヴァンゲリオン(の概念)を破壊して、シンジは「エヴァのない世界」に進みました。

丁寧に、丁寧に。激情を感じるほどに、1つ1つ、細かく終わらせる。弔いとか、別れとか、そういう表現で捉えることもできそうな気もします。でも、感じてしまった激情を言葉で表現するなら、やっぱり「殺す」が一番しっくり来ます。エヴァを、丁寧に、殺す、儀式としての、シン・エヴァ。喪失を受け入れて前に進むシンジはその比喩だったのかもしれません。

ここまで徹底してエヴァを殺すことで、庵野監督は、内部的にも外部的にも、やっと、エヴァから解放される、ということなのかな、と思いました。TVシリーズの開始から26年、それだけの、30代だった監督が還暦を迎えるほどの長い時間、1つの作品と向き合い、作り続けないといけなかった。大変だったと思います。

私はゲーム業界にいたことがありました。売り切り型のゲームなら続編商売は手堅いし、運営型のゲームでも順調なら運営に人員は継続して必要となる。「同じことを求め続けられる」事の大変さを、見聞きしたし、身を以て体験もしたので、解放を望む気持ちには共感を覚えられました。

なので、私がシン・エヴァの感想を一言だけ言うのであれば、「庵野監督にお疲れ様でしたって言いてえ」です。

最後のシーン、声が神木くんに替わった大人シンジは、マリと一緒に階段を登っていきました。神木くんで階段モチーフ、と来ると、「君の名は。」を当て込んでいるように見えますが、どうなんでしょうかね。そうだとしたら、「スペクタクルの時間は終わった、ここからは幸せな日常だ」でしょうか。

マリENDなのに関しては、自分はマリを「TVシリーズや旧劇場版と異なる結末とするために、何者かが作品世界に投げ込んだもの」だと思っているので、それがシンジをエヴァから(ご丁寧にキャスト変更までして)引き剥がして連れて行くという形になっているのは割りかししっくり来ています。キャラ同士の関係構築をすっ飛ばしても納得させるのは豪腕だなとは思います。

余談2:伏線の回収

・ネブカドネザルの鍵って何?→なんか人外化するためのアイテムだった
・なんでアスカが式波なの?→綾波シリーズに対する式波シリーズだった(同型艦?)
・なんでアスカはQでシンジを殴りたかったの?→破でアスカがやばいときにシンジが何も決断しなかったから
・Qのミサトは何考えてたの?→エヴァに載せないのはやさしさだった
・マリって何者だったの?→結局わからんけどゲンドウやユイと同世代の同僚だったっぽい

みたいな感じで、Qまでで撒かれてた「あれは何だったんだ?」みたいな事はほとんど回収されたんじゃないでしょうか。単純にすごくスッキリしましたし、きれいだなと思います。

Qでのミサトやアスカの心情は、わかった人にはわかったのかもしれませんけど、私は心情読み取りが苦手なのです。お許しください。

これから:私にとってはより大きい、結末を見届けるべきもの

さて、エヴァの完結を見届けることができたので(新劇場版もう1回見てからまた見に行きたいですが)、自分は次に取り掛かろうと思います。

私にとって、今のように深夜アニメをリアルタイムで追いかけるきっかけになり、影響を受けて開催された屋外クラブイベントの全14回を皆勤させた、重要な作品が、もうすぐ終わりを迎えます。

(ちなみに、「シリーズ作品殺し」はこちらが3年ほど早く、ハイエボ2で行っていました)

元となったTVシリーズ、こちらは50話あります。でも、私は、この50話をすべて見返してから、その終わりに立ち会いたいのです。

これを優先してやると、たぶん4月クールもまともに「今期のアニメ」はみられないと思います。でも、それでも、そうしたいんです。

余談3:終わってから読んで良かったもの

大きなカブのやつ

5年前に話題になった、庵野監督の奥さんが書いた漫画ですね。

Qが終わったあと、庵野監督がなんとか立ち直ってシン・エヴァを作り始めるまでの流れが、序盤のシンジが立ち直るまでの流れに似ている部分があり、妄想がはかどります。

(2021/03/12追記)監督不行届も読むと面白そうと思ってます。あと、

これは期待して良さそうですね。

好意的でない感想

読んでいただいた通り、私は基本的に本作に肯定的な立場で、自分のタイムラインを見ている感じでも肯定的な反応がほとんどであるように見えました。

でもそれはそれで気持ち悪いじゃないですか。

TVシリーズと旧劇場版は、リアルタイム世代にはかなり大きく傷跡をつけていった作品なので、みんな色んな事を思っているはずです。

それで、いざこうやって完結したときに、一様に「良かった」という反応なはずはなくて。「こんなんで納得できるか!!」となる人がいるほうが(多様という意味で)自然だと思います。

なので私はどちらかというと否定的な感想も読みたくなっていて、すぐには見つからなかったのですが、日頃からアニメ(富野作品とか幾原作品とか)の鋭い記事を書かれている方が、先陣を切るように感想を書かれていました。

とても面白い記事でした。しっかり読み取ってないと書けないし、知識がないと書けないと思います。


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