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「考察厨」、あるいは脳内ナレーションのススメ

私は、おそらく自他ともに認める考察厨だ。そのことが、ときにコンプレックスでもあった。だが今回、あえて私は「考察厨の効用」について書いてみることとする。

【はじめに】「考察厨」とは何か

ぐぐってみたら、正式な日本語ではないようだ(出鼻を挫かれた顔)。

例えば、アニメや漫画をみたときに「このシーンの裏の意味は…」とか「はっきりとは書かれていないけど、実はこういう意味があるのでは…」とか考えたり、「この場ではこういう力学が働いていてこういうことなんじゃないか」と色々な解釈を行う人のこと。特に作品の考察については、その解釈の中身だけではなく、解釈を述べること自体を嫌う方も多く、「解釈厨はミュート」などの風潮は根強いと思われる。
…が、ここでは「様々な事象や状況に対して、つい脳内で考察を加えてしまう人」と限定して解釈し、この後の文章を展開させていただきたい。

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「考察厨」であることがコンプレックスだった理由

私の「考察厨」はおそらく小学校時代まで遡る。習い事の場で心無い中傷をされたとき、学校でうまく輪に入れてもらえなかったとき、「この場ではどうして自分が排斥されているのか?」というのを考え、さまざまな理由をつけて溜飲を下げていたことに始まる。

かねてよりインタビューなどでも発言しているが、物心ついてからというもの、とにかく場に馴染むのが苦手だった。小学校は周囲との興味関心の差、中学高校は周囲との家庭の生活水準やキャリア観の差、大学の学部やサークルではリア充度あるいは拗らせ度の差、など、あらゆる差異をうまく乗り越えられずにつまずき、うまく場に馴染むことが出来なかったように記憶している。

いつまでも当事者になれない私の泣きそうな脳内で幕が上がるのが、先に挙げた「その場に対する客観視、および考察」だった。

結果として、一定心は落ち着いたとしても、あらゆるイベントは興ざめ、他人の発言も一旦考察のフィルタ行き…ということで、常にシニカルな脳内の自分に支配されているような感覚だった。夢中で友達のおしゃべりを聞いたり、無邪気に人の懐に入れる人が羨ましかった。

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考察厨であることのメリット

ただ、思い返せば良いこともたくさんあったように思う。

- ひねくれたり病んだりしそうなときに考察することで溜飲を下げ、メンヘラ化を防ぐ
- 主観で違いを嘆くのではなく、差異を客観視するため、「誰が悪い」という感情論になりにくい
- 感情を弄ぶのではなく「どうすればいいか」にフォーカスでき、早めに解決に思考リソースを割くことができる(行動できることとは別だが)
- 一度検討が済んでいるので、同様のケースが起きたときに、対処のしようがある(可能性が高まる)

などである。更に、それらの考察を言葉にしてSNSなどで発信したり、コミュニティに発信することで、他者の意見が聴けたり、共感を得られたり、建設的に思考が発展/発酵することも理解できてきた。そうやって少しずつ仲間を獲得できるようになったとき、自分のメンヘラリティは大分薄まっていった。
(※上記については、「うまく言語化できるスキル」とセットにはなるが、これはやり続けているうちに上達してくる側面もある)

「考察厨」は何をしているのか

もしかしたら、ここまで読んで「考察厨」になったらいいことがあるんじゃないか?と思った人もいるかもしれない(?)ので、具体的な方法をここに記録しておこう。

具体的に「考察厨」と呼ばれる人は何をしているのだろうか?なお、それが発動するのは、何か嫌なことが起きたときや、いたたまれないとき、感情のゆらぎがあったときである。心がザワザワしているときの「考察厨」なりの対処法、と言い換えてもいいかも知れない。

まずは、原因の追及だ。「なぜそれが起きているのか?」「誰のなんの発言がきっかけで?」と、現象のきっかけや原因になっているものを考えていく。

次に、現状に対する分析。「この場にいる他の人はどうやってこの構造に動員されたのか?」「そこにはどういう力学、構造がある?」「社会における「当たり前」などの背景がその場の認知に影響しているのだろうか?」など、今あるものが見えないなにかに支えられている可能性を考えていく。

最後に、対応策を練る。「どうすればこの場の構造が変革する可能性があるのか?」「自分が行動を変える、自分がいなくなる、周囲の行動を変える、周囲のメンバーを変える、などの可能性はあるのか?」と、さまざまな思考実験を繰り返すことで、妥当なアクションを検討していく。自己反省につながることもあるし、どちらかというと自分が逃げるコマンドを選択することもある。

このような思考を、(最初は感情的でバイアスまみれな頭であっても)(そしてその事故が起きているまさにその現場で)繰り返していくことで、次第に思考が整理され、心が落ち着いていくのだ。

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脳内に「大豆田とわ子と三人の元夫」ナレーションを召喚し、メンタルの危機を乗り越えよう

「考察厨」になることで、人生の難しい局面でも、少なくとも落ち込みすぎたり、打ちひしがれることは防げるのかもしれない、と思う。

(何度も言うが、大胆なアクションができること、妥当な解決策を投じることができることとは異なる。それは行動力の結果であり、考察力とは似て非なるものであるからだ。脳内で課題をイメージした後、解決策を頭に描いてから実際にどう行動するかについては、その領域に詳しい人、例えば「行動達成コーチング」みたいな肩書を持つ人に聞いてみよう)

イメージとしては「大豆田とわ子と三人の元夫」の冒頭ナレーションである(Youtubeなどにアップされている動画は著作権上の問題から非掲載とする)。脳内に伊藤沙莉さんのちょっぴりハスキーなボイスを轟かせよう。

※なにそれ?という方は下から確認していただきたい

▼Amazon Prime

▼Netflix

https://www.netflix.com/jp/title/81444722

UXコンサル、BtoBマーケ、人事を経てコミュニケーションマネージャー(広報、マーケ、採用広報、組織開発)なう。 書くこと:パン偏愛、可愛いもの布教、働くこと、生きること、1日1考、新サービス考察、旅行、読書録、銭湯、恋愛。 頂いたサポートは、もれなくパンの研究に使われます。