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橋本環奈のうんこは汚い。だから僕は“エノキ”みたいな男に。

生まれた時、僕たちはみんな猿みたいな顔で、言葉の一つも話せないほど馬鹿で、そんで裸だ。

そん時は本当にただの「一、赤ちゃん」。
一応名前はついていてもバーゲンセールみたいにカゴいっぱいに赤ちゃん達が詰まっていたとしたら親でも自分の子を見つけるのは不可能に近いだろう。

でも意外に早いもんで、そっから1年も経てば人は紛れもなく個性を持った「1人の人間」になる。

人の内外面はあれよあれよという間に規定されていく。その過程でマザーテレサも酒鬼薔薇聖斗も作られていく。

規定されて、規定されて、規定されて。

そして僕は22歳になった。

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22歳の僕の出来は如何程であろうかとたまに考える。顔はというと、

少なくとも良くはなさそうだ。

でもだからと言って生活に支障がある程のそれかと言われればそんなことも無さそうなので、まぁとりあえずはほっとこう。

問題は内面だ。これがキツい。

自分で自分を審査するならハッキリ言って「最悪」のそれだ。打算的にしか物事を見れないし、やけにアクティブな癖にそのアクティブな自分を嘲笑している自分が斜め上に居て、自己肯定感は上昇する余地を失っている。気色が悪い人間だなぁとしみじみ思う。

そんな内面を変えようと数多藻搔いてきた。自己啓発本の類も読み漁ったし、学校での行動を敢えて変えてみたりもした。
だけどまぁ、無理だ。無理なんだわな、
薄々気づいてたけど。

だってそもそも、
「打算的で気持ちの悪い性格を叩き直す為の努力」自体が非常に打算的で気持ち悪いのである。

こうして僕は自分を肯定する努力を放棄することにした。そっちの方が楽だし、何より「斜め上の自分」の存在を思い出さなくて済む。

まずもって自分のことを自分で評価すると言うのが良くない。
僕曰く、人間なんて全員本来的には自己中心的な物体だ。
だけど他人を見るとき、その本質に触れることができるのは極めて稀である。
その上澄み液の下にある禍々しくて、ゴツゴツした汚らしい「本性」は本人のみが確認できるのだ。

自分で自分なんて評価しちゃ、
そりゃ、いくら頑張ったって嫌いになってしまう。

橋本環奈のうんこだってきっと汚いのである。
それと一緒だ。

じゃあどうすりゃいいのか。
んもう知らないけどみんな僕の影響を受ければいいのだと思う、みんなが僕のことを肯定したくなるような人間に僕がなればいいのである。

断っておくがこれは決して「独裁者になります宣言」を高らかに行っている訳ではない。

所属する組織内や人とのコミュニケーションの中で、汚いところだらけの今の僕をなんやかんや認めてくれるようアプローチする。
そのための努力をした方が早いと気づいたのだ。

社会がすき焼きなら、僕はエノキになりたい。
自分自身は肉ほどジューシーでもなければ、白い豆腐のように彩りを与えることもできないが、周囲に最高の出汁を提供する存在。
人気ランキングで上位にこそ入らないがなんやかんやで絶対に必要で常にスタメンを張る存在。

僕はエノキみたいな男になりたい。



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