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脅迫雑念に囚われた日々


何かをする度、雑念に囚われていた。それはいわゆる、「強迫性障害」と呼ばれるものだったと今になって分かった。しらない誰か、もしくは自分の中のほかの自分のような存在などに、怖い出来事を起こさない代わりに、何か行動を求められるような感覚だった。

特に覚えている状況の二つは、

夜中トイレで目覚めると、必ず泡をつけて手を洗い流す事を3回繰り返し、水道の蛇口を3回開け閉めし、閉まったのを確認すると、次は冷蔵庫に行く。トイレの後は絶対に水を飲み、冷蔵庫は何かに納得するまで開け閉めを何度も繰り返し、納得すると、寝室に、、と思いきや、やっぱり何か納得していなくて、冷蔵庫に戻り、開け閉めを繰り返し、本当に納得すると、部屋に戻った。

ちょっと自分が変だとは気づいていた。でもおかしいと思われたくなかったから言わなかった。

そしてそれは、辞めようと思っても、辞めれないことだった。


毎回内容は違ったが、大体似ていて、これを〇回しなければ、明日、お母さんが事故にあう。だからしなければならない。そんな念が頭から離れなかった。だから繰り返した。そんなこと関係ない、おかしいとどこかで分かっていても、もしこれをやらずに、本当に事故にあったらどうしようという恐怖が消えず、やり続けた。

次の日の学校の支度をするときには、国語の教科書、ノート、算数の教科書、ノート、ふでばこ、プリント、体操着ズボン.......時間割を見ながら、思い出しながら、何度も確認した。今思えば異常なくらい何度も。お風呂に入っていても、寝る前にも。何度も確認するせいで、眠りにつくまでもとても時間がかかった。いざ眠りにつこうとすると、いつもの位置に蚊取り線香がない、人形の向きが違う、そんなことに気づき、起き上がって定位置に戻す。そんなことの繰り返し。時間を見て、あまり寝れないことをまた知り、イライラし、寝なきゃというプレッシャーで余計に眠れない日々が続いた。

私はきっと他の人と比べても、軽傷だったんじゃないかな。とは思うけどとてもそれをする自分が嫌だった。


誰かに理解されたいと思ったこともあった。でも仕方ないよね、自分が同じ目に、もしくは似たような目に合っていないのに、その人の気持ちなんてわからないのが普通だもん。

他のことで例えるなら、

顔が整っている人に整ってない人の気持ちが分かる?
生まれつきのお金持ちが貧しい家の人の気持ちが分かる?
逆もそう。
分かるはずないよね。なったことないんだったら。


気持ちが理解できないのは仕方ないと思う。ただ、相手がつらいと言った時に、責める形に持っていくのではなく、そうなんだ、つらいんだね、私にはその気持ちが残念ながら理解はできないけどさ、というような、自分とは違うけどそういうこともあるんだと認める、できるだけ受け入れる、そんな人たちが私も含め、増えていったらいいな、とは思う。別に、この病の話に限らずね。


もちろん、それぞれ治る治らない、治るきっかけ、あるとは思うけど、あくまで私は、直そうとしなくなり、受け入れるようになって、症状はほとんど気にならない程に小さくなった。不安が消えるならいいじゃん、自分はしてしまうのを辞められないのかも。って。

自分でも、相手からでも、否定すれば、されればされるほど、雑念は強くなるのかもしれない。

自分の経験談ばかり話してしまったけど、今同じように悩んでいる人がいたら、少しでもいい方に進むように、そして周りに悩んでる人がいたらできるだけ、そんな症状があるんだと少しでも知ったり、優しい言葉で、寄り添ってあげてほしいと思う。

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