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「人の力になる」ことはなかなか難しい
最近、1年近く会っていなかった友達と会った時、私が過去にかかったことがあるのと同じ精神疾患を彼女も抱えているらしいことがわかった。
私にとってはもう10年近く前の話だから今となっては全く気にしていないことだけど、彼女を見ていたら当時のことを色々と思い出して心配になってしまった。
とても気になって、彼女に対して「自分も(おそらく)同じ病気になったことがある」と軽く話をして、何か参考になることがあれば、と伝えてみた。
彼女も病気のことを隠したがっているような感じでもなかったし、少しだけだけど自分からそのことについて話してくれていたから私も自分の話をしてみようという気持ちになったのだけど、今考えてみると、自分の病気の経験談を話したのは彼女にとって本当に良いことだったのか、と家に帰ってからぐるぐる考えてしまった。
私としては、彼女に対して「自分の過去の経験が少しでも役に立ったら」「同じ病気になった人が身近にいれば少しでも安心できるのでは」という気持ちで自己開示をしてみた。
けれど、そういう気持ちの裏には実は「自分の経験を伝えることで彼女に一目置かれたい」「自分は病気を乗り越えてきた強い人間」「彼女より先を進んでいる先輩的な(上から目線的な)立場に立てる」みたいな、自己中な考えがあったような気もして、なんだか自分が嫌になった。
別にマウントを取りたいとか本気で思っているわけじゃない。彼女のことが嫌いなわけでもない。ただ、私は彼女のことを心配しているようで「自分はこんな大変なことも乗り越えて今まで頑張ってきたんだよ」ということをわかってほしいだけなのかな、と思ってしまった。
人の力になるのは、とても難しい。彼女に対してきっとしてあげられることがあると思うけれど、自分がいまだに承認欲求を満たせていなくて、苦しんでいる彼女にそんな気持ちで向き合っているのかと思うと情けなくなる。
彼女の力になりたいという気持ちと自分を認めて欲しいという気持ち、どちらも混ざり合っているから、彼女に対する行動が本当に彼女のためにならない気がして、どうしたらいいのかわからない。
だから、やっぱり純粋に「人のために」と思って行動するにはまだ私の心は未熟すぎるのだと思う。まだ人を助けられるような段階には来ていないんだろうなと思う。
だけど、同じ病気を経験してそのつらさも知っているからこそ少しでも力になりたいと思っている気持ちがあることには変わりない。
やはり、そういうコミュニケーションの場で人はとても敏感だなと思うことがある。
相手が発する言葉が本心から自分のために言ってくれている言葉なのか、それとも表向きはそうでも実は自己中な考えからきているものなのか、ということを誰しも人は敏感に察知するものだと思う。
「心の底で相手のことをどう思っているか」ということは、どう言葉を取り繕ったとしても、その人のちょっとした仕草や視線の向け方、発している雰囲気から感じとれてしまうと思っている。
だから、「心の底で本当は相手のことをどう思っているか」ということを常に意識しながら話をしなければと思う。
話がそれてしまったけれど、結局私も精神的に未熟だからこそ、彼女に対して「力になりたい」という気持ちで接するのではなく、「一緒に心の問題に取り組んで、一緒に前に進もうね」という横並びの気持ちで接していけたらいいなと思う。
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