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“真面目な頑張り屋さん”は、もうこれ以上頑張る必要はない


最近、自分の中の「👹厳しい自分」(ベキネバ思考など、自分を責めて厳しく咎める自分)の声と、「☺️優しい自分」(自分を労ったり、許してあげる自分)について考えている中で、気づいたことがありました。

それは、自分の中の「厳しい自分の声」を少しずつ減らし、マイルドにしていくことで生きづらさが少しずつ和らいでいくということです。

色々な心理系の本とかにも書かれていることだったとは思うけど、最近やっと自分ごとに感じられたというか、腑に落ちた感覚があります。


真面目な人とか、幼い頃から「いい子ちゃん」で親の顔色を常に伺って生きてきたりした人は、きっと自分の中にある「厳しい自分の声」がすごく強い。

わがままを言ってはいけない、空気を読むべき、人前で怒ったり泣いたりしてはいけない、礼儀正しくあるべき、ずるいことはしてはいけない、ちゃんとしなければ、などなど…。

そういう言葉を幼い頃から自分の中で反芻し続けてきた結果、「間違った行動をしていないか厳しく見張る自分」が自分の中に出来上がっていました。

もちろん、それがあったからこそ評価されてきたこともあるし、「いい人だね」と言われて人と良い関係が築けたりしたし、頑張る時にはちゃんと頑張れる人間になれたりもしました。

でも、それが強すぎて逆に必要以上に自分を責め、行き過ぎて自分を攻撃し始めてしまっていたからこそ、生きづらくなっていたことにも気づけました。



それを気付くきっかけになったのは、「理想の自分に向かって、成長し続けよう!」「挑戦・行動しよう!」という、成長意欲の高い人たちが集まるコミュニティにいくつか入ったことがきっかけです。

自分は、調子がいい時は「もっと成長したい!挑戦したい!できることを増やして自分の価値を高めたい!」と思って、そういういわゆる”成功者“と言われる人たちが運営するコミュニティに入り、頑張りたいと思うことがあります。
しかし、ちょっと調子が悪い時期とかネガティブになりやすい時期に、そういう「成長」とか「挑戦・行動あるのみ!」みたいな話を聞くととても苦しくなって、自分を攻撃するものに変わってしまうんだな、ということがわかりました。

成長を求め続けることも、自己実現のために行動・挑戦することも素晴らしいことだと思っています。
だけど、「それができない自分はダメだ」「行動できていない自分はダメだ」っていうことにはならないし、「成長できていない自分は価値がない」なんて思ってしまうのは違うな、とようやく実感できるようになってきました。

自分を責めたり厳しく律する傾向が強い人は、そういう自己啓発系の話を聞くたびに、「成長しよう!(なぜなら、今の自分ではダメだから)」「挑戦しよう、行動しよう!(だって、何もやっていない自分には価値がないから)」という、自分を否定する気持ちが生じてしまっているのだと思います。


人間、どうしても楽な方に流されてしまう生き物だから、今まであまり自分に厳しくなかった人にとってはそういう厳しい言葉はとても効果的だと思っています。

だけど、今まで真面目に従順に親の言うことを聞いて、「いい子」で生きてきた人にとっては、そういう言葉を鵜呑みにして必要以上に自分に言い聞かせる必要はないんだな、と改めて気付けました。


だって、もう自分に厳しくすることは十分できているから。

自分ではそう思えないかもしれないけれど、もう頑張りすぎるほど頑張っていて、よくやっているから。



なんとなく、「誰かから優しい言葉をかけてほしいな」「誰かに褒めて欲しいな、認めて欲しいな」「リラックスしたいな」とか思っている時は、もうすでに頑張りすぎている時。

何もできていなかったとしても、頭の中では「頑張らねばモード」になっていて、自分自身と葛藤して闘っている時。


だから、もうそんなに頑張ろうとしなくていいよ、
成功・成長・挑戦を求めなくてもいいよ、
そんなことをしなくても、そんなコミュニティに入らなくても、もうすでにあなたに頑張る力は十分あるよ、
そんなに価値のある人間になろうとしなくても、あなたには十分価値があるよ、


って自分に言い聞かせてあげたいと思います。


自分も含め、真面目で頑張り屋さんでいい子で生きてきた人たちが、少しでも心穏やかに人生を楽しめますように✨☺️

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