哲学は一般受けが悪いのに、なぜ3000年続く最強教養コンテンツの座に君臨するのか?
こんにちは!
インテレクチュアルクライマーののりぞーです。
さて、唐突ですが、質問です。
哲学ってどういうイメージを持ちますか?
多分、多くの人が
難しそう
いつでも自問自答している感じ
なんか考えてる人って近づきにくい
あたまイイんだね
それってカネになるの?
こんなことを思い浮かべるのではないでしょうか?
確かに、
よく耳にするし、教養観あふれるけど、
実用的じゃないんじゃない?
これが本音だと思います。
哲学の金言で胸に刺さったコトバ
自分自身は、
哲学者や経済学者、社会学者などの名言が
本当によく響くと日々感じていたので、
先日、職場のメンバーに次の金言を使いました。
これは、
18世紀のイギリスの哲学者で経済学者でもあった
アダム・スミス(1723-1790)
の名言です。
水は本当に役に立ちます。
喉の渇きに潤いを与えたり、
食器を洗ったり、
衣服を洗ったり。
温めればお湯となり、
カップラーメンを食べれるし、
お風呂だって入れます。
火事の現場にも水って欠かせません。
このように、水は自由自在に私たちの役に立ってくれます。
しかしです。
「水でなにか買えますか?」
こう考えたとき、
「あれ、水は何にも交換できないぞ?」
ってことに気づくわけです。
これは、アダム・スミスの
「使用価値」と「交換価値」という
「価値観の違い」をズバリ言い当てている!
と思ったのです。
水では何にも交換できない。
けれど、役に立つことは、「使用する価値」がものすごく
あるんです。
逆に「お金」はいろんなものに「交換」できますよね。
食べ物
衣服
生活必需品
サブスクリプション
旅行
などなど。
「交換価値」とは何なのか、肚落ちしました。
職場で使ったらメチャメチャ誤解される
自分の中では、
「こりゃ名言! 職場でもつかってみたいな」
と思っていました。
ある日のこと。
職場のメンバーの一人が頑張っていて、
もっと励まそうとして、この名言を持ちだしたら、
「そんなに私は役に立ちませんか?
自分には能力がないと思っているんですか?」
あれ?
なんか間違った?
自分は
「あなたはとても仕事に貢献しているので、
(お金のように)交換できない
唯一無二の存在なんだよ」
と伝えたかったのですが(-_-;)
哲学はなぜ「誤解」されるか?
なんとなく分かってきました。
いろいろ
思考を日々巡らしている人にとっては、
このような哲学の名言は、
抽象度が高くても
自分の具体(自分事、体験)にまで咀嚼(そしゃく)しちゃうんです。
一方、反射的(ファスト思考的)に反応することに慣れた
大多数の人にとっては、自分事化する際に
ヘンなバイアスとか経験とか感情が間に挟まるので、
誤読してしまうのではないでしょうか?
先ほどのアダム・スミスの言葉も、
ちょっと言い回しを変えると感じ方も違ってくると思いました。
これならどうでしょうか?
まず、ネガティブ要素。
次に肯定要素と、文脈をひっくり返し、
かつ補助線を引くだけで、けっこう違いますよね。
なぜ哲学は3000年のロングヒットコンテンツなのか?
現代でも、「哲学」は人気コンテンツです。
書籍も手を変え品を変え、毎月数多く出版され、
爆発力はないけれど、息の長いフォロワーがいます。
おそらく、
いつの時代になっても、
一番知りたいのは自分自身
最優先で磨くには「哲学」が最高にフィットする
この2点に集約されるのではないでしょうか?
逆に、それほどまで考えていない人も大多数なわけで、
安易に「哲学」引用はキケンであることも、
今回のエピソードで思い知りました。
「哲学」は誤読から世界を変えていく
こんなこともふと思う今日この頃です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?