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Day 0

この文章を飛び立とうとする機内で書いている。12時間後から10ヶ月間、英語での日常が始まる。

まだ実感がわかないけれど、それは想像できる範囲を越えているからだろうか?

想像ができないから恐れるのか?想像ができないから、もうとりあえず体当たりでいいのか?
たぶん後者の方が、良いのだろう。

だって夢に見た海外生活じゃないか?
東京よりも生きやすい場所にいくための一歩じゃないか。
やるぞ。

機内で『落下の解剖学』を。
「人は突然いなくなる」といった夫は20時間前の喧嘩で、臨界点に達してしまったのだろうか。自分は主役ではなく、妻の脇役であるこれまでの人生や、自分の役割を受け入れられなくて。

自分は我慢してきた、だから仮を返して欲しい。これは本音だったのか?そうでもいわないと、自分で納得できなかったのか?

これは男女入れ替わっても成り立つ構図ではないか。

生活を、時間を共にするからこその葛藤。
「僕をこうしているのに、私はこうしているのに…」という状態にならないために日常的にできたことはないのだろうか?

フランスのグルノーブルを舞台にしていて、裁判ではフランス語でのやり取りが義務付けられる。ドイツ人の主人公は、フランス人の夫とロンドンに住んだのち、フランスに移住してきている。非現地語話者への見えない圧力。今後、こういうことも往々にしてあるのだろう…

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