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祝福のまどろみ

「今日はなにかいいことがある気がする。」

そう言ってわたしのパートナーは在宅ワークのパソコンの前へ向かった。
朝、もうすぐ9時を回るところだった。

わたしは勤務先へ持っていく珈琲を片手に彼を見る。

気のすすまない労働に、香りのよいカフェインは必須だ。コンビニコーヒーでは馬力が続かず萎えるので、必ず自宅で珈琲をいれる。酸味の少ない、コク深いやつを。


なんでもない朝の風景にぽん、と置かれたことばがくるりとふり返り、無垢な表情でわたしを見上げている。
わたしはそれが壁に吸い込まれないように気を払いながら、できるだけゆっくりと眺めた。

さっき自分が置いたことなんて忘れたかのように、彼はもう仕事に向かう顔をしていた。


今日はいいことがある気がする。なんて、アンデルセン童話の主人公のようなわくわくした気持ちを、自分が持っていたことはあっただろうか。

もしかしたら、幼い頃にはあったのかもしれない。なんの疑いもなく、いつも同じ明日があると思っていたあの頃。それはきっと、気持ちに名前がついた時には忘れてしまった。

たくさんのことばを覚えるのと同時に、たくさんのものごとに名前がついていって、名前がなかった頃のものはどんどんいなくなっていった。

それに気づいた時、わたしは人知れずひどく混乱した。

さっきまでわたしの中でのびのびと揺蕩っていたものたちに名前がつくと、なんだか突然、知っているような知らないような顔になって、よそよそしい態度をとる。自分のものなのに、他人のもののような気がする。自分のものだったのに。



わたしはまだ部屋のまんなかに浮いていることばをそっとつかまえて、そうなの?と聞いてみる。

つかまえたことばはあたたかい響きをしていた。
初めて会ったにしては、懐かしい色。
自分のものじゃなかったのに、ふしぎとよく馴染んで、懐に入っていった。すぐに取りだして、思い出せる場所に。



今日はなにかいいことがあるの?とつけ加える。
いいこと、という響きが口の中で楽しそうに転がるのが、おもしろい。

顔を画面に向けたまま、たぶんね。と彼は答える。
そう思ってた方が楽しいからさ、という顔で。

彼は彼のお父さんの影響で、日々を楽しんで生きることに心血を注いでいた。
おもしろき こともなき世を おもしろく  をまさに地でいく人間なのだ。


わたしは彼のそんなところにしばしば驚かされ、
救われている。




夜になって、好まない労働で可哀想にくたびれた体をベッドに横たえる。梅雨時期の夜はひんやりとして、肌がけのあたたかさが肌に心地いい。ベッドサイドの電気を消してゆっくりと呼吸を数えれば沈み込むように意識が溶けていく。

眠りに落ちる直前にふと思い出して、今日はいいことがあった?と聞いてみた。
疲れた体でも、朝のことばは変わらず軽やかに口の中で転がった。あぁ、すてきなことば。




彼は目を閉じたまま少したってから、

今日も君が帰ってきたよ。と言った。



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