独創的過ぎて理解不能!?      変わり者の芸術家3選part2

こんちくわ!たけちゃんです。
今回も独創的な芸術家をさらに3名紹介したいと思います。

  1. ピエト・モンドリアン

  2. マーセル・デュシャン

  3. ハネス・フェルメール

1.ピエト・モンドリアン(1872-1944)

ピエト・モンドリアンはオランダの画家で、抽象芸術の先駆者でした。彼は幾何学的な形状と原色を用いた作品で知られており、デ・ステイル運動の一員として活動し、芸術における直線と色の関係を追求しました。

モンドリアンは、オランダのアメルスフォールトに生まれ、アムステルダムの美術学校で学びました。彼は当初、印象派やポスト印象派の影響を受けた風景画や静物画を描いていましたが、その後、キュビスムに傾倒し、抽象的な作品を制作するようになりました。

1917年、モンドリアンはデ・ステイル運動に参加しました。この運動は、芸術における純粋性や調和を追求することを目指しており、モンドリアンはこの運動の中でも独自のスタイルである「新造形主義」と呼ばれる縦横の直線と、三原色からなる抽象絵画に到達しました。新造形主義では、具象絵画を古い芸術だとして新しい造形である抽象絵画と対比させ、その特質である自由な形と原色などを主張しました。

モンドリアンはまた、「ブロードウェイ・ブギウギ」と呼ばれる作品も制作しました。この作品は、ニューヨークの都市景観を抽象的に表現したもので、彼が晩年に制作した代表作の一つです。

ニューヨーク・シティ
ブロードウェイ・ブギウギ

モンドリアンは1944年に71歳で亡くなりましたが、その後も彼の作品は世界中で愛され続けており、その影響力は計り知れません。

2.マーセル・デュシャン(1887-1968)

マルセル・デュシャンはフランス生まれの美術家であり、20世紀美術に決定的な影響を残しました。彼は画家として出発しましたが、油彩画の制作は1910年代前半に辞めることになります。デュシャンは、ダダイスムやコンセプチュアルアートの重要な先駆者の一人であり、日用品や既製品を芸術作品として提示する「ファウンドオブジェ」(見つけたオブジェ)として知られるアイデアを提唱しました。

デュシャンは、ニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われています。彼はコンセプチュアル・アート、オプ・アートなど現代美術の先駆けとも見なされる作品を手がけました。では、デュシャンが他の巨匠たちと異なるのはどのようなことなのか。それは、30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残していないことです。彼が没したのは1968年ですが、「絵画」らしい作品を描いていたのは1912年頃までで、以降は油絵を描かなくなりました。

油絵を放棄した後、デュシャンは「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表しました。代表的なものとして1917年「ニューヨーク・アンデパンダン展」における『噴水(泉(男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」という署名をした作品))』がありますが、物議を醸しました。その後、『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』という通称「大ガラス」と呼ばれるガラスを支持体とした作品の制作を未完のまま1923年に放棄し、ほとんど「芸術家」らしい仕事をせずチェスに没頭していました。

彼のこうした姿勢の根底には芸術そのものへの懐疑や、挑戦があります。晩年の1996年にも自身の「観念としての芸術」という考えを述べていたり、チェスに没頭した後、めっきり作品の制作をしてこなかったデュシャンが『1.落ちる水 2. 照明用ガス、が与えられたとせよ』という作品を制作したことからも、芸術の火が完全に消えていたとは言えません。

1.落ちる水 2. 照明用ガス、が与えられたとせよ
噴水

3.ハネス・フェルメール(1632-1675)

ヨハネス・フェルメールは17世紀にオランダで活躍した画家で、バロック期を代表する画家の1人です。彼は、レンブラントと並び、17世紀のオランダ美術を代表する画家とされます。

フェルメールは、デルフトという港町で生まれました。彼は生前も有名な画家であったにも関わらず、その生涯の多くは謎に包まれています。彼が描き上げた作品数は、わずか30数点と非常に少ないものでした。

フェルメールは、写実的な作風で、光の表現に長けていた画家でした。彼が描く光の粒子の美しさから、当時「光の魔術師」という異名がつけられたほどです。

彼の作品には、「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」などがあり、これらの作品は、日本でも非常に高い知名度を誇ります。

牛乳を注ぐ女
真珠の耳飾りの少女

フェルメールの作品は、美しい青色「フェルメール・ブルー」が特徴的です。彼は当時としては非常に高価だった青色の顔料をふんだんに使用しました。また、彼の構成も特徴的で、人物画では一般的な女性を描き、複数人ではなく1人だけを描くという形を取っていました。


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