また反感を買いそうな、BUMP OF CHICKENライブの感想。
この記事は、BUMP OF CHICKENの大阪京セラドームでのライブに参加した感想です。
(※かなりの捻くれ者かつ視野の狭い人間の一感想です。こういう奴もいるんだなとお収めください。)
ライブ直前にチケットを取ったので、スタンド席の一番後ろだった。
すり鉢状になっている客席の、一番高い場所から見下ろすステージは小さい。でもすごく見晴らしがいい。広大な視界がひらけているのに、自分に与えられたスペースはとても小さくて、すぐ目の前に見知らぬ人の頭がある。
恐怖がせり上がってくる。自分でチケットを買いウキウキで電車に乗って来たくせに、人の多い空間に身をおくと途端に圧倒され自由な感覚を失う。緊張が高まっていく。
こんな圧縮空間で、のびのびと振る舞える人を尊敬する。本当にうらやましい。
同じバンドのファンとして集っても、開演前に何故かしゃちこばる自分のような人間もいれば、ごく狭い座席や客席の傾斜、悪魔的な混雑をものともせず心底楽しめる人もいるのだ。
これってバンプ関係ないやん、お前の問題やん。と思われた方もいるかもしれない。確かにそうです。
けれど私は、自分の身体感覚が鋭敏というかある意味バグっているお陰で、感じている恐怖を忘れられるようなモノに出会うと、それを信じられるのだ。恐怖や不安を越えて、心を動かしてくれる圧倒的な何かを求める。
演奏している人が豆粒ぐらい遠くても、その音楽が迎えに来てくれたら勝ち。というか自分が我を忘れられたら嬉しいな、と思ってる。
ライブに一人でいそいそと来た。
何せ学生時代から十数年、聴き続けてきたバンドなので愛着がある。
曲はもとより、幼なじみであるメンバー四人の仲良し感が好きだ。ラジオでの少々くだらなくも(失礼)、とても温かく楽しい内輪ノリも大好きだ。
昨年のツアー、何とバンプが地元に来てくれるというので感動し、すぐさまチケットを取った。
その時感じた「ありがとう!」と、
ほんのちょっとの「うーん…」を払拭したくて、今回再びライブを訪れた。
けど、今回のライブでもやはり、中音域のギターが悪目立ちしてるように聴こえた。明らかに調和してない音が鳴っているのに、何だか当たり前のように曲が進んでいくのが異様だった。
美しい照明が客席を通り抜け、右手首に装着する事になっているリストバンドはライブの展開に合わせて色とりどりに光り、誰かの腕が規則的に前後に振られている。予定調和で頭がグラグラしてくる。
ムカムカせり上がってくるのは、自分の場違いすぎる怒り。
だれかに正論で一刀両断されそうな怒りだ。
それは「この演奏は何なんだよ」という、おこがましい感想です。
さらにモヤモヤするのは、
「何なんだよ」と、面と向かって言いにくい空気感なんです。
心に寄り添ってくれるような、弱さを認め受け入れてくれるような、このバンドの持つ優しさが、何だか急に胡散臭く思えてしまったのだ。
べつに下手でも関係ないじゃない、とかそんな問題じゃないのだ。
明らかにこの演奏には諦めのムードがうっすらと漂っている(気がする)。
「何かおかしくない?」
それを内側で言う人がいないなら、ライブで披露されているのなら、認められているんだろう。
これがバンプの音なんだろう。
しかし、このメンバー間の演奏のアンバランスをバンド内で解決せず、アイコン化された四人の関係性と曲のメッセージ性を押してこられると冷めてしまう。
四年前、チャマさんの不倫に関する記事が出た時、三人だけのラジオで藤原さんの絞り出した言葉が印象に残っている。
「君たち(ファン)は、僕らが四人でここまでやってきたっていう、僕らの歴史の物語をめちゃくちゃ大事にしてくれてるから」
確かにそうなんだけど、無理して仲良くしてくれなくてもいいけどなあ…と、その時思った。
今のバンプはファンの為に音楽を鳴らしている。
ファンの求めるキラキラした姿で居続けている。
でも綺麗じゃなくても、バチバチ不仲でもいいからバンドとして熱い音を聞かせてほしい。意志を持った音を鳴らしてほしい。
じゃないと美しい演出が丸ごと虚構に見える。
それこそ理想論で、独りよがりな事を言ってるな…と自分で思う。
不愉快にしてしまってたらごめんなさい。
格好良かった、感動した、楽しかった、も自分の中にあります。
ただ、そんな感想ばかり目立つので捻くれたくなりました。
ライブは貴重な思い出です。
読んでくださりありがとうございました。
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