頭の中がお花畑になりがちな自分。



小学生の頃、プロフィール帳というものが流行っていた。親しい人に自己紹介カードを渡し、記入してもらい、綴じていくのだ。私は、友達から貰った自己紹介カードを書くのがとても好きだった。


その中にはいろいろな質問があった。
『血液型は?』『好きな食べ物は?』『好きなテレビ番組は?』
普段考えないような事も訊いてくれるので、あれこれ思いを巡らせるのが楽しかった。



『何歳で結婚したい?』という質問には、なんとなく、「23〜25才」と書くのが定番だった。
小学生の自分が結婚を考えた時、十代でするのは早く、三十代でするのは遅い気がしたのだ。それは何の理想も根拠もなく、夢を見るような感じで思い描いていた。


それから十数年後、2014年に結婚したのかといえば、そう上手くはいかなかった。
23歳の私は、男性と交際する機会もなく毎日ひたすら働いていた。仕事への理想に燃えていた訳ではなく、ただ職場が忙しかったので、激務に追われていたのだった。

当時は温泉旅館で働いていた。
一番忙しかった部署は食堂だ。食堂に入るシフトの日は気が重かった。
宿泊客の怒涛の夕食ラッシュが終わり、調理場の床に水を流した後、重い生ゴミの袋を提げて歩く時はいつもヘトヘトだった。
(だれか褒めてくれー…)という気持ちを抱えながら、気力で乗り切っていた日々でもある。


その頃、好きだった年下の大学生Tくんに告白してフラレてしまった。
告白する瞬間までTくんとは両思いだと確信していたのに、あっけなく失恋、甘い夢は儚いシャボン玉のように破れてしまった。
23歳の私は、まだ現実の恋愛までたどり着いてもいなかったのだ。

だけど、当時の自分はそれでよかった。実際、フラレても一週間足らずで立ち直っていた。たぶん脳内で恋愛ごっこ?ができていれば満足だったのだ。好きな人と両思いだったら…なんて妄想して期待もしていた。


25歳の自分も、その状態からあまり進歩していなかった。温泉旅館から転職し、営業の仕事をしていた私は、ある先輩を好きになった。その人は営業成績が抜群、明るくて面白くて押しの強い男性だった。


その人には職場内に、同棲中の彼女が居たのだが、脳内お花畑の私は一向構わなかった。当時の自分は会社で一番ヤバい奴だったと言い切れる。先輩がこちらにモーションをかけてきたので(言い方古いか?)好きだと伝えた。今思い出すと肝が冷えるし、恥ずかしい、申し訳ない気持ちになる。



その後の進展はなかったので良かった。
先輩は正式に付き合う気はなかったようで、私は自分を好きになってくれない先輩と恋愛する気はなかったので、そのまま転職した。


アラサーに足を踏み入れ、男性と交際することもあったが、実際自分の恋愛経験値は上がらなかった。
というか、そもそも他人とのコミュニケーションというものへの認識が歪んでいたのかもしれない。もしくは成長しないまま、大人になっていたのだと思う。


これについてはまた改めて書きたいが、自分にとってのコミュニケーションの目的は、ある時期までは確かに『他人に自分をよく思ってもらう、それによって自分が満足する』というものだった。
なので二十代の自分の行動は、大半が他人の目を意識したもの・今でいう他人軸のものだったのだ。


ただその状態で意識している『他人の目・他人の視点』も自分の作り出したもの。
結局自作自演なので、私は恋愛してるつもりになっていた時も常に、相手を見ていなかった。都合のいい意味付けによって、現実を書き換えていた。



それが間違ってるとは言い切れないけど、このやり方で生きていると、必ず自分の認識と現実とのズレが出てくる。
めちゃくちゃ幸せだったのに、急に谷底に落とされるみたいな。
今でも自分のお花畑傾向は残ってるが、かなり、現実を生きられるようになってきた…はず…。


私は夫と三年付き合って結婚したのだが、彼と出会ってから、急激に自分が脱皮をくり返して成長していったような気がしている。
彼と出会えたことが自分の人生で一番のラッキーだと言い切れる。

どうして運が向いてきたのだろう?
彼はどういった形で私を成長させてくれたのだろう?
自分なりに思うところを、また次回の記事で書きたい。


長くなりました。
そして恥ずかしい文章になりましたが、読んでくれた方ありがとうございます。

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