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「ヤ」ンキース

 小説執筆にはアメリカンスピリットが合う。アメリカンスピリットと言っても、”アメリカのように自由な魂を持って小説と向き合え”とか、そういった話ではなくて、執筆中の喫煙には、アメリカンスピリットという銘柄のタバコが合うという話だ。

 アメリカンスピリットは燃焼時間の長いタバコだ。一般的なタバコに比べ、巻紙まきしに葉が多く詰まっていること、燃焼剤や香料などの添加物を使わず、無添加素材で作られていることなどが、燃焼時間を長持ちさせる要因らしい。

 パソコンに向き合い、文章を打ち込む。時に閃光のように頭に浮かんだ、でっぷりと身のついた秋鮭のように豊かな着想を大河に逃すまいと、吸いさしのタバコを灰皿の端に置く。豊かな秋鮭を我が物とし、文章を綴るその手を止めた時、灰皿の端でタバコが亡殻なきがらとなっていたら、休息も新たな発想も手に入らないだろう。

 手を休め、灰皿の端に凭れたアメリカンスピリットを手に取り、それを吸い、煙を中空に向かって吐き出す。煙を吐き出す時、久しぶりにデスクトップから顔を上げた。だらしなく、きちんと閉じられていない茶色い遮光カーテン。その中心の隙間から暗い自室へ入る一条の陽光に、タバコの煙が重なった。煙の不規則で曲線的な無常なる姿体が顕になり、その光景を芸術の本質のメタファーと受け取った。しかし、それは言語化できるような、「Eureka!」と叫ぶに足る実質的な解ではなく、霧のように曖昧模糊とした形のない観念を、ただ浴びたに過ぎなかった。
 森羅万象の性質と同じように、人間は前進することを望む。そして、前進をより早めるために、具体的な答えや明確な発想を望む。だが、それに翻り、今私が浴びた、この捉えようのない大気のような観念は、旧来から、私が望んでいた答えのように思う。

 観念の新鮮な空気を吸った私は、パソコンを閉じ、テレビをつけた。テレビではメジャーリーグの試合が中継されており、白地に黒のピンストライプのユニフォームを着た選手が、木製のバットを強く握り、ピッチャーの投げるボールを今か今かと待ち受けていた。キャッチャーと球種のサインを交わすピッチャー。薄茶色の土と青い芝。球場を覆い尽くす人々の作る色とりどりのモザイク。
 ピッチャーはキャッチャーへ頷いた後、しなやかなモーションから豪速球を投げた。バットを少し後ろへ引き、飛んできた球を捉えてやろうとタイミングを合わせたバッターがスイングした丁度その時、中継は途絶え、画面は砂嵐になった。
 あのバッターは球を捉えることができたのだろうか。あるいはキャッチャーミットに収まったのだろうか。
 アメリカンスピリットに火をつけ、深く吸い、ゆっくりと吐き出した。吐き出した煙の揺蕩たゆたう向こう側で、テレビがノイズの信号をニューヨークまで飛ばしていた。絶え間なく変化し続ける画面の砂嵐もまた、芸術の本質に似た無常なるものと受け取った。

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