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「シ」ン・絶対可憐チルドレン

 抗えないほどの巨大な恐怖に足元から襲われて、死の感慨と向き合う暇もなく深淵へと引き摺られるイメージ
 目が覚めた。目が覚めてくれた。これほどまで起床に感謝したことは無い。眠るという行為は自分の意志の管轄外でその処理が行われるから、寝て起きる、寝て起きる、「こんな当たり前のサイクルなんて」とあなたは思うかも知れないが、当たり前なんかじゃないし、それがもし本当に君が言うところの『当たり前』なのだとしたら、それは足立区不燃ゴミセンターに集められた足立区中(必ずしも足立区民の廃棄物とは言えない)のランダムなアルミ缶たちが圧縮され作られるあの一面10m×10mの、ある種廃棄物の偶像とも言える巨大な立方体の6面それぞれに精巧なモナ・リザのモザイクアートが描かれるような奇跡なんだよ。今日寝る前あなたはこう思うだろう。「今夜寝て、2度と起きなかったらどうしよう」そう思えばこそあなたは変わるのだ。次の日の朝、いつも通りに起床できた時、生まれて初めてこの自然とその複雑コンプレックスさに感謝するのだよ。鏡に歯磨き粉がついている。ティッシュで拭いた。
 職場へ着くまで13駅。各駅停車のその箱が職場の最寄りへたどり着くまでの間、電車内の広告に目を通す時間が唯一の情報収集源といえる。
 いつも通り職場に着き、黒の制服に着替え、部屋へ入ると私以外の全てはもう席へ着いていた。規定の時間を遅れたわけじゃないが、後れた気に反比例するように足を速め静かに席に着いた。
 全員席に着くとそれでようやく「完成された」という感じがするこの大きな円卓は、誰が設計したのだろうか。きっと海外の老舗の家具屋の一人主人で、依頼から完成まで10年かかるのだろう。その10年を経てこの部屋へ運ばれてきたことを考えたら涙が出てきた。それは労いや感謝の涙ではなく、純粋に自然に対した時にツーと流れるそれである。
 今日も考えることから始めよう。人類史を鳥瞰したところ、思考が先になく、行動が先だった仕事に成功したものはない。身近なものから少しずつ漸進していくイメージで考えていこう。無論、この仕事に行動なんてないのだけれど。
 電車の中吊り広告にはさまざまな物があり、今日はそのさまざまな物の一つ「新発売された竹馬」の広告を見た。最後に竹馬で遊んだのはいつだろうか?きっと小学校に上がる前だと思う。私の時代はもう竹製ではなく、金属と樹脂でできた物だった。それでも竹馬という名称が通っていることに生命力を感じる。それはまるで一夜にして見違えるほど成長する竹のようで「竹馬」というものがもう、一貫したものの比喩として使えるようである。それから竹馬を手放して、今まで来てしまった。じゃあ他に何に乗ってきたのだろうか。乗り物とは人類を前進させる道具であり、文化的な面でもそれは前進させる力を持つ、竹馬を経てブガッティ・ヴェイロンにたどり着いた人間の産業能力は竹馬のようだ。竹馬はそれに乗ったものの視点を高くする。背が低く、いじめられていた私のような人間はその効果を魔法のように愛でたことであろう。小学校の6年間は背の順で一番前だったが、中学校に上がる頃には遅れてきた成長期が私に見えない竹馬を与えてくれた。それだからこそ、もう竹馬は必要なかったのかも知れない。竹馬の要らなくなった私、新しい朝と自然に感謝したキミ。人間は進化していく生き物である。人類は最近その事実に気づいたらしい。そしてそれは最近周りでヒシヒシと感じる。電車の中吊り広告の王道に新刊本の宣伝がある。大抵はビジネス書の類で、それは通勤のサラリーマンへ向けられた物だろう。最近刊行されたビジネス書はタイトルが「ポスト〇〇」や「〇〇2.0」のようなものが多く、ここに私は進化・前進を意識し始めた人類の思考の一端をみた。極め付けは映画の宣伝広告で「シン・ゴジラ」や「シン・ウルトラマン」そして「シン・仮面ライダー」などがあり、そこにも進化の系譜を見た。庵野秀明は幼少の自分が好きだったものを独自に進化させ、作品を作ったらしい。どれも子供が好きなもの。それを進化させ、大人も楽しめる。むしろ大人だから楽しめるものに変えてしまった。庵野秀明。彼もまた私にとっての円卓のような彼の寄す処よすがで思索に耽っているのかも知れない。彼の発明した「シン」フォーマットを使って私が作品を作るのなら題材は何になるだろうか?幼少の頃の好みを発展させるというなら、庵野にとっての「シン・ゴジラ」が私にとっては「シン・絶対可憐チルドレン」となるだろう。背の低かった幼少の頃に観た絶対可憐チルドレンが私の内奥を貫く竹馬となっているのは言わずもがなでは無い。庵野の発明を私が転用するという発想もまた、簡略化した人類の進化と言えたらどれだけ嬉しいだろうか。
 思索を終えた私はうなじのプラグにプラスチックコネクターを差し込み、液体を抜き取ってもらい、退社して電車に乗った。
 電車に揺られる間、網棚に上げられた黒くて大きな袋が気になって自宅の最寄り駅を通り過ぎてしまった。



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