言葉というまめをまく_240203_#210
今日は節分です。
▼我が家では毎年かかさずやっておりますが、一体なぜそのような行為がはじまったのでしょう? ふと疑問に思いました。
鬼を追い払うため とは云え、今からは鬼なんて想像しづらい。
なんでなのか、経緯を含めて知りたく調べてみると、
確かに、今ほど科学が発達していない時代では、そのように捉えられても仕方がない状況ですね。いや、そうとらえるしか仕方がなかったのかもしれません。
旧暦で正月にあたる、立春の前日にあたる節分の日が最も重要視され、またこの日が最も鬼が出やすかったからだとか。。。
▼科学的に色んなことが解明できていない時代は、そうやって不遇な状況に対し、処置を行ってきたようですね。
そしてそれを信じて、節分に豆をまくことにより、実際に何がしらの効果も感じられたから、今まで続いてきたんでしょうね。
(科学的な、豆まきとのつながりはおいておき、私の場合こじつけでもなんでも、少しでも良くなれば構わないのですが。。。)
▼私自身は日々の中で良いと思った言葉を、自分の原理原則に使用できるよう記録し、また意思決定につなげたい言葉も集めています。
それもきっと豆まきと同じ想いで、自分の心の隙間に入ってくる鬼を追い払い、幸せになりたいという思いから、集めた言葉という豆を日々、自分の外や内側に蒔いているんだと思います。
〈今日の気づき〉
・心の隙間に入ってくる鬼(邪気)を追い払い、
幸せになりたいという思いから、
集めた言葉という豆を日々
自分の外や内側に蒔き続ける
最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
明日もみなさんにとって
大切な1日となりますように!!
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