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不登校から学んだこと。親子というご縁。

娘は中学入学後、ひと月で学校に行かなくなった。
壁の薄い公営住宅で大声で怒鳴り、中学のカバンを外に投げ捨て、娘を玄関から突き飛ばした。

本当にとんでもないことをした。

当時「この子の人生終わった…」なんて本気で考え、娘を罵倒した自分が恐ろしい。

不登校の3年間は私にとっては修行だった。

私の失態を終わらせてくれたのは、娘。
気づかせてくれたのは娘。

私がこのままでいたら娘との関係が終わってしまうって思った。
それは絶対ダメ。

家にいてくれていい。
家で笑っていてくれたらいい。

それでも私の感情は「大丈夫!」「大丈夫だろうか…」を行ったり来たり。
毎日毎日、修行だった。
たくさんの本を読み「大丈夫、大丈夫」と自分の心を信じる努力を繰り返した。


あれから15年。娘は27歳。
今は結婚して、彼と事業に取り組んでいる。

中学卒業後、通信制の高校へ入学・卒業し、専門学校へ入学・卒業し、2年ほど会社勤めを経験。
彼と出会い、彼が1人で頑張っていた事業を手伝い始めた。
娘自身も学び、2人で事業を大きくしてきた。

不登校の時には想像もつかない仕事をしている。


不登校の親を経験して、娘の人生は娘のものであることを学ぶことができた。

しかし、親というものはどこかで子供に期待や希望を持ってしまっている。

そりゃそうよね。
生まれる前から一緒にいる子だもん。
大切な大切な子だもん。
幸せになって欲しい。

ただ、その幸せは「親が思う幸せ」であって「子どもが感じる幸せ」とは違う。

違う人格を持った人間だから、
何を大切に思うか、何を幸せと思うかなんて違って当たり前よね。

それを心の底から理解することができたような気がする。
違う人格を持った人間同士のお付き合いができるようになった気がする。


でも。
親子というご縁で生を受けた関係なので、信頼して娘の人生を見守っていくつもり。



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