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『自由』『権利』

 昨日、ちょっとびっくりするようなニュースを見た。

性同一性障害と診断され、手術を受けずに戸籍上の性別を男性から女性に変更するよう申し立てた当事者に対し、広島高等裁判所は変更を認める決定を出しました。これまで戸籍上の性別を変更するには外観を似せるための手術が必要だとされていましたが、裁判所は「手術が常に必要ならば憲法違反の疑いがある」と指摘しました。

NHK NEWS WEBから転載

 うええ、まじかよ。
 ってのが女である私の正直な感想。
 
 世界は自由でいいんだと思う。
 だから性自認も自由でいい。
 好きな服を着て、好きに生きる。それでいい。

 だけど、ちょっと忘れてない?
 自分の『自由』や『権利』を貫くなら、それなりの『責任』と『覚悟』を忘れないでほしいんだけど。
 『自由』も『権利』もすごく耳触りの良い言葉だよ。だけど、『責任』と『覚悟』が伴わなければ、そんなもん単なる横暴だよ。
 
 
 女子の陸上や水泳の世界大会にトランス女性が参加して入賞しちゃってるらしい。
 そりゃ入賞するよね。身体的なポテンシャルが全然違うんだもの。

 一度、自覚してほしい。
 トランス女性は女性ではありません。

 それから女性として生きたいなら、覚悟を示してくれよ。それなりの。
 差別だとかそうじゃねえかとかは、それからの話なんだよ。
 それでもなお、埋められない溝はある。
 それをも引き受けて全てを背負う『覚悟』だよ。
 そしたら『女』として認めてあげる。

 そこがとても甘いから見ていて腹立たしいの。

 性別というのは選べない。
 どちらが得だというのもないんです。

 トランス男性が大浴場やお手洗いを使う権利、スポーツの大会に出場する権利を主張しないのはどうしてだろうね?
 さっきも書いたのだけれど、身体能力に差がありすぎるから。
 それから、その『自由』と『権利』を貫くことで起こる状況に対しての『覚悟』も到底できないし『責任』もとれないと、理解してらっしゃるのだと。

 トランス女性の人たちは、『覚悟』はともかく、どうやってその『責任』を取るつもりなの?
 『アライ』と呼ばれる人たちも然りです。
 納得できるように、きっちり筋を通して説明してほしい。

 それができないLGBTQであるから、私は反対なんです。
 中途半端で見苦しい。


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 最近の日本はいよいよ底が抜けたというか、箍が外れたというか……

 全員ではないけれど、かなりの人が『自由』だの『権利』だのの耳触りのいい言葉に振り回されて、体の中に一本、通さなければならない大事な『芯』のようなものを失っているような気がするんだよね。

 だから裏金の議員さんたちは無罪放免で不起訴だし、匿名であるのをいいことにXで『女性と行為を持つのは男性の【権利】だ』なんて平気で宣う者まで出てくるのだろう。
 他にもいろいろあるよ。もう止めるけど。

 こんな先が見えない世界だから、だけどだからこそ何らかの自己鍛錬を通して自分自身の向上に励むべきで。

 既得権益にぶら下がってのべつ幕なしな放埒を続けたり、自分より立場の弱い者たちを叩いて安い優越感に酔ってたり。或いはいろいろな意味での暴行を加えて悦に入ってたり。
 今だけ、金だけ。
 そんなの、お金と脳内麻薬の奴隷だ。
 『いいように使われてる』
 
 
 そんな凋落のあとにくる世界はどんな世界なのだろうか。
 私は『崩壊』に対しての希望しか、抱けない。
 
 
 どうぞ善き一日がありますように(^^)

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