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褒められればいいってものではない。~女子の生き様~

私は子どもの頃なにかにつけてはよく褒められる子どもだった。
内気で従順で大人しい私になんとか自信をつけさせてあげようと周りの大人からの配慮か、なにをしてもよく褒められた。

優しい性格でもあったので、周りの友達たちも私が褒められることにちょっと嫉妬したりしながらも、褒められて当然のように受け止めてくれていた。

そして、小学6年生ごろ、思春期の入り口に立つようになると、褒められることに慣れ、褒められて当然と思うようになる。しかし、半面、本当に自分が褒められるのに値する実力を持っているのかと疑問を持つようになった。

私は学校の成績もそこそこ良く、絵に描いたような「いい子」であったがゆえに、褒めやすいから、褒められているだけなのではないだろうかと疑うようになった。
そこから、私の反抗期が始まったのであった。

自分は何をしても褒められるので、なんでも器用にこなす人間だと勘違いしてしまった。実際には手先も器用なタイプでもないし、コミュニケーション能力が長けているわけでもない。思春期に入ると不器用な自分に直面することになる。

それならば、初めから正当な評価で褒めて欲しいと思うようになり、自分がピンとこないことで褒められても嬉しくなくなってしまった。むしろ、変なことで褒められて気持ち悪いと思うこともあった。
私は褒めて伸びるタイプではなかったのかもしれない。かといって、怒られて強くなるタイプではなく、怒られて萎縮してそのままつぶれてしまうタイプでもあった。

じゃあ、こんな私をどう扱えばよかったのかというと、簡単に褒めないでほしかった。なかなか褒められないことに対して私は悔しさを感じるようになり、褒められないことがかえってやる気を起こさせるのだ。
文章を書くことを仕事にしようと思ったのも、学生の時、読書感想文で友達は褒められたのに私は褒められず悔しかったから、文章を書くことにこだわって今の自分がいる。

褒められないことが悪いことばかりではない。悔しさをバネにして伸びる可能性がある。

幼い子どもたちを褒めないのは私もどうかと思うが、自我が芽生え、自立心を持つような年齢の子どもたちには安易に褒めず、褒めるならどこが具体的によかったのかを伝えながら褒めるような大人になりたいと思う今日この頃である。


↓こちらでも記事を書いています。興味のある方は読んでみてください。


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