大乗寺

浄土真宗本願寺派のお寺のアカウントです。 お寺は東大阪市森河内にあります。

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マガジン

  • 地元の地理と歴史シリーズ

    東大阪市森河内周辺の地理と歴史について整理しています。

  • 仏事マンガ「お念珠さん」全30話

    ふと気が付いたことを「お念珠」さんに託して描いてみました。

最近の記事

No.36 「ただ君がいて ただ僕がいて ここにしかない 意味になってく」   9月の掲示板

 今月は私の趣味が前面になった掲示板の言葉になりました。  TOMOO「夜明けの君へ」の歌詞からの引用です。  まだまだお茶の間知名度はそこまでではないかも知れませんが、一昨年のメジャーデビュー後、FM802ではよく曲がかけられています。昨年10月には邦楽ヘビーローテーションに「Super Ball」が選ばれていました。  正直、彼女の歌に最近沼っています。どうも昔から、ピアノを弾いて歌う人に弱いようです。  その彼女の「夜明けの君へ」から歌詞を引用しました。  この歌詞

    • No.35 ひさしぶりのお盆の鐘撞き

       8月15日16時から、お盆の鐘撞きを行いました。旧本堂の解体に伴い、しばらく安置していた釣り鐘(梵鐘〔ぼんしょう〕といいます)でしたが、昨年より鐘楼建設をはじめ、8月の頭に鐘を吊るすことができました。  クレーンとフォークリフトを駆使しての吊るす作業は、空間の制限がある中での職人技でした。久々に鐘が吊るされた瞬間は、なんとも感慨深いものでした。  そんな中でのお盆の鐘撞きです。久々に撞きたい、初めて鐘を撞くという方々が、鐘楼建設にご協力くださった方が、また近所の子どもた

      • No.34 悲しさはともに悲しむ者がある時 ぬくもりを覚える (柳宗悦)

         表題の言葉は民藝運動の主唱者、柳宗悦「南無阿弥陀仏」より  読み進める中で印象的であった箇所を書いてみました。  この言葉、ここだけ読むと、なんとなく葬儀の場面を思い浮かべるのではないでしょうか。  大切な方との別れの中で、私たち一人一人が経験する悲しみ。同じように悲しむ家族がいることで、私達は少し支えられているように感じたり、友人知人が悼んでくれることで大きなやさしさを頂けるように思えます。  ただ、柳宗悦がこの言葉を書いた文脈は少し意味合いが違います。ともに悲し

        • No.33 若返り技術と仏教

          4月8日の毎日新聞に、iPS技術を用いた若返りの技術が注目されている記事が載せられていました。  iPS技術は山中因子によって細胞を初期化するものです。その山中因子のはたらきを制御して、初期化まで行わず、程よく若い状態まで若返りを促すという技術が発展しているとのこと。皮膚に使えばしわ、保水力が改善。軟骨を若返らせると関節炎の治療に、免疫を若返らせると血液のがんの治療、角膜を若返らせると緑内障の治療等。  その関連研究では「老化」はもはや必然ではなく、治療できる病気という考え方

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        • 地元の地理と歴史シリーズ
          9本
        • 仏事マンガ「お念珠さん」全30話
          30本

        記事

          優しさにふれるたび 私は恥ずかしい

           藤井風「優しさ」の歌詞から。  ここを聴いた時、「ああ、このお兄ちゃんは大切にしている宗教は違えど、自分より大きく、自分を育ててくれる存在を知っているんやな。」と思いました。  「大きな存在から照らされ、願われてる私」を感じます。  普通なら優しさに触れて感じるのは「嬉しい」とか「ありがたい」です。  けれど、「恥ずかしい」と言っています。自分なら同じようにできるだろうか?とか、その優しさを受けるだけの私であるのか?といった自らを省みる姿がここにはあります。  お

          優しさにふれるたび 私は恥ずかしい

          No.32 鐘楼建設の着工

           ついに鐘楼建設と境内整備が着工しました。    大乗寺が今回整備を行うのは大きく3点です。   1、鐘楼の建設 梵鐘という釣鐘を設置し、鐘つきができるようにする 2、スロープを設置し、本堂まで車いすでも入れるようにする。 3、駐車場部にゲートを設置する。    まずは鐘楼の基礎部  以前トイレのあった場所  これから立ち上がる様子が楽しみです。    そして、スロープ     お参りして頂きやすい、そういうお寺にできればと思います。また報告をさせていただきます。

          No.32 鐘楼建設の着工

          No.31 地元の地理と歴史シリーズ  その10 生駒山

          「仰ぐ生駒ね 白い雲 ~」と小学生の時に校歌としてよく歌っていました。奈良との境、大阪の東側に連なる生駒山地は、河内平野で生活する者のランドマークと言えるでしょうか。  さて今回は生駒の山を書いていきたいと思います。  生駒山地は南北30km、東西10kmにおよび、大阪府と奈良県の境界となっています。頂点は生駒山、海抜642.3mです。大阪側は急斜面で奈良側はなだらかな地形です。生駒山地が現在の様な姿になったのは約200万年前ごろの地盤運動による隆起、そして約100万年前の

          No.31 地元の地理と歴史シリーズ  その10 生駒山

          No.30 魚釣りから考える肉食と殺生 その8 まとめ(魚釣りと殺生)

           これまで7回に渡り、魚釣りについて考える上で、殺生の問題と肉食という問題に絞って、仏教の歴史をざっと見てきました。長かった、、、。本稿でまとめとしますが、あまりはっきりしたことは言えそうにありません。ご勘弁ください。 ・購うという行為の是非  お金で購うことについても実は大事な点でしたが、そこまで確認できませんでした。お金で買ったお肉は三種浄肉(見ていない、聞いていない、知っていない)なのか?という点です。おそらく、購入は市場・漁師・酪農家への要求行為であることから、三

          No.30 魚釣りから考える肉食と殺生 その8 まとめ(魚釣りと殺生)

          No.29 魚釣りから考える肉食と殺生 その7 現在の日本寺院での肉食

           「うちは魚釣りはできない。殺生だから」との言葉をきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその7、現在の日本寺院での肉食・魚食として少し整理してみたいと思います。  その4で江戸時代は浄土真宗を除いてお寺での肉食は禁止されていたことを整理しました。そして、明治5年の「僧侶の肉食・妻帯勝手たるべし」という太政官布告によって、徐々に日本全国のお寺で肉食妻帯が普通になってゆきます。  そうして現在、精進料理という料理の「カテゴリー」はあっても、実際に精進料理で生活してい

          No.29 魚釣りから考える肉食と殺生 その7 現在の日本寺院での肉食

          No.28 魚釣りから考える肉食と殺生 その6浄土真宗の差別の歴史・殺生と肉食

           「うちは魚釣りはできない。殺生だから」との言葉をきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその6、浄土真宗の差別の歴史と肉食として少し整理してみたいと思います。 ・親鸞聖人の立場  平安末期は不殺生戒の影響もあり、当時から実践できない漁師や猟師といった、生き物のいのちを奪うことを生業にしている方々は世間から「悪人」とされ、時には排除され蔑まれていました。そういった方々は仏さまの救いから漏れていた存在でした。 そんな中、親鸞聖人は「これらの人はみな石(いし)・瓦(

          No.28 魚釣りから考える肉食と殺生 その6浄土真宗の差別の歴史・殺生と肉食

          魚釣りから考える肉食と殺生 その5 浄土真宗の肉食の歴史

          「うちは魚釣りはできない。殺生だから」との言葉をきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその5、浄土真宗の肉食の歴史として少し整理してみたいと思います。 ・江戸時代の肉食妻帯の特別枠「浄土真宗」  前回、江戸時代にはお坊さんは肉食すると幕府から処罰を受けることを書きましたが、その際に浄土真宗は例外的に肉食を認められていた点を少しだけ書きました。なぜでしょうか。これは教えの部分と密接にかかわります。    本シリーズのその3で五戒(殺すな、盗むな、不倫をするな、嘘

          魚釣りから考える肉食と殺生 その5 浄土真宗の肉食の歴史

          No.26 魚釣りから考える肉食と殺生   その4 中国仏教での肉食の禁止と日本への伝来

           お坊さん仲間に「うちは魚釣りはできない。殺生だから」と言われたことをきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその4、中国仏教での肉食の禁止と日本への伝来として少し整理してみたいと思います。 ・中国に伝わった仏教の変化  肉食について、インドでは一定のルールの下で肉食は容認されていたことを前回整理しました。その後インドでは、大乗仏教という仏教運動が興り、その教えが中国へ伝わります。そこでは、すべてのいのちが仏性(仏になる種)を持っているという理念の下、その仏性を

          No.26 魚釣りから考える肉食と殺生   その4 中国仏教での肉食の禁止と日本への伝来

          魚釣りから考える肉食と殺生     その3 仏教の戒律と肉食(古代インド)

          「うちは魚釣りはできない。殺生だから」との言葉をきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその3、今回は仏教の戒律と肉食(古代インド)として、少し整理してみたいと思います。 ・仏教の戒律の根本「不殺生戒」  おそらく多くの方々は仏教には「不殺生戒」というのがあることはご存知かと思います。生き物のいのちを奪ってはならない、という教えです。他に「盗むな、不倫をするな、嘘をつくな、酒飲むな」と合わせて五戒という戒がありますが、その筆頭が「殺すな」です。  法句経(ダンマ

          魚釣りから考える肉食と殺生     その3 仏教の戒律と肉食(古代インド)

          魚釣りから考える肉食と殺生     その2 魚釣りの魅力とその問題点

           「うちは魚釣りはできない。殺生だから」との言葉をきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその2、今回は魚釣りの魅力と問題点を整理します。 ・魚釣りの魅力  魚釣りを始めて感じた魅力は多々あります。  準備をしている間のワクワク感。魚がかかった時、手元にブルブルと届いた時の興奮。ばらさず抜きあげるまでのドキドキ。持ち帰って食べた魚の新鮮さ・美味しさ。 そうした釣り自体の楽しみに加え、発見が多くあったことも魅力に挙げられます。  魚の生態といのちの連鎖、釣るための

          魚釣りから考える肉食と殺生     その2 魚釣りの魅力とその問題点

          No,23 魚釣りから考える肉食と殺生 その1 学びのきっかけ 

          ・はじめに  2年半前の2021年の夏、コロナ禍真っ只中、室内でのレクリエーションが敬遠されていたこともあり、子どもたちと一緒に魚釣りに行けたらいいなと考えました。  自分たちが普段食べている魚が、どのように海にいて、どのように捕り、どのように持ち帰って捌き、どのように食事としていただくのか、そのことを考える契機となるなら、楽しみとしてはもちろんながら、子どもたちの食育にもなると考えたからです。 ・「殺生やん」の一言から  ところが、若手僧侶連中と話している際に、「うち

          No,23 魚釣りから考える肉食と殺生 その1 学びのきっかけ 

          No.22 川俣(川俣本町)      地元の地理と歴史シリーズ9

           森河内と隣接する地域の川俣。特にその中心は川俣本町で、現在の第二寝屋川と旧楠根川が湾曲し戻ってゆくはざまの場所にあたります。 今回はこの川俣について調べてみました。知らなかったことが多く、面白い地域でした。  この川俣はなんと言っても歴史が古いことに特徴があります。古代からその川俣の名前が記されているそうです。日本書紀に出てくる仁徳天皇(5世紀)のものとされる歌に「伽破磨多曳(かわまたえ)」とうたわれているのが川俣であると考えられているとのこと。  奈良時代には東大寺の大

          No.22 川俣(川俣本町)      地元の地理と歴史シリーズ9