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No.36 「ただ君がいて ただ僕がいて ここにしかない 意味になってく」   9月の掲示板

 今月は私の趣味が前面になった掲示板の言葉になりました。

TOMOO「夜明けの君へ」の歌詞から


 TOMOO「夜明けの君へ」の歌詞からの引用です。
 まだまだお茶の間知名度はそこまでではないかも知れませんが、一昨年のメジャーデビュー後、FM802ではよく曲がかけられています。昨年10月には邦楽ヘビーローテーションに「Super Ball」が選ばれていました。
 正直、彼女の歌に最近沼っています。どうも昔から、ピアノを弾いて歌う人に弱いようです。
 その彼女の「夜明けの君へ」から歌詞を引用しました。

 ただ君がいて ただ僕がいて そこにしかない 意味になってく

TOMOO 夜明けの君へ

 この歌詞を聴いて、”なんとなく”いいなぁと思いました。その”なんとなく”はどこから来ているのか?を考えたのですが、意味という言葉に惹かれたように思います。

 「意味」はしばしば似た言葉としての「価値」と混合されるように思います。お坊さんの私の立場だと、「いのちの価値」とか「生まれてきた意味」といった言葉が文章にあると、少し気にして読もうかと思ったりします。似たように使われているようで、それでもやっぱり違うようでもあります。

 これはたまたま気が付いたのですが、価値って自分では決められないんですね。いつだって他者に決められてしまう。買い手側があってこその”価値”です。例えば、転職の際に自分の市場価値は・・・と考えても、結局のところ採用側次第です。私のいのちの価値は?と考えたって、「あんたそこそこ年くってるから大した価値なんかないわ」と一蹴され、赤ん坊であれば様々な可能性があると大きな価値をつけられるかもしれません。

 一方で、「意味」はだれも教えてくれない。自分で見いだしていくものだと思います。生まれてきた意味は誰も教えてくれませんし、自分がその仕事をする意味やこの場所に住む意味も、自分で見いだしていくものです。

 意外と、意味と価値って大きな視点の違いがある。

 今回のTOMOOの歌詞はその”意味”がよく出ているように思います。

ただ君がいて ただ僕がいて そこにしかない 意味になってく

TOMOO 夜明けの君へ

 あなたがいて わたしがいる その対面する中に 大切な事柄がある
 「ここに居てていいよ」と言ってもらえているような気もします。
 こういったあたりに、なんとなくいいなあと思えたのかもしれません。

 さて、仏さまを大切にするという仏事行為は明らかに意味の世界の所作です。決して価値の世界ではないと思います。誰が褒めてくれるわけでもない、自分自身が大切に思うからこそ、仏壇を大切にしてゆける、お念仏して歩むことができる。そういったことも考えさせてくれる、歌詞だと思いました。

 


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