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No.33 若返り技術と仏教

4月8日の毎日新聞に、iPS技術を用いた若返りの技術が注目されている記事が載せられていました。
 iPS技術は山中因子によって細胞を初期化するものです。その山中因子のはたらきを制御して、初期化まで行わず、程よく若い状態まで若返りを促すという技術が発展しているとのこと。皮膚に使えばしわ、保水力が改善。軟骨を若返らせると関節炎の治療に、免疫を若返らせると血液のがんの治療、角膜を若返らせると緑内障の治療等。
 その関連研究では「老化」はもはや必然ではなく、治療できる病気という考え方まで紹介されていました。
 ただし、再現性の問題や、臓器ごとの老化の仕組みがはっきりしていないこともあり、まだ技術的には課題が多いようです。
【2024年4月8日毎日新聞1面、3面を参照】

 これらを読みながら私は「六道」を思いました。六道とは私たちが六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天《詳しくは下で解説》)を、生まれかわり死にかわりしている、という古代インドにおける生命観(いのちに対する考え方)です。
 若返り技術は、私達人間がこの六道の「天(人)」になろうという試みのように思えました。天は神様の世界です。天人はその生涯を快楽の中で生きるようですが、それでもやはり寿命はある。死の直前には垢で服がよごれたり、身体が臭くなったりと5種の徴候を示すそうです。これらの徴候が出た時に初めて、死が免れ得ないということに気がつき絶望する。これが天人の世界であるといいます。死の直前まで若々しく、という考え方がここに重なるように思うのです。
 
 もともと私たちは老いや病をえる中で、また近しい方の死に直面する中で、自らの死へ向き合ってきたはずです。その都度苦しんできた面はあるでしょうが、そうして自らのいのちを見つめなおしてきた。
 どこまでも老いを見えなくする上の天人のような世界(若返り技術の世界)は、同時に死を覆い隠すことになり、最後に奈落が口をあけることにならないのか。その苦しみがとんでもなく大きくならないか、不安に思います。
 
 仏教が目指すのは、天に生まれることではありません。六道は苦しみであるから、そこから抜け出すことが大切、と説かれてきました。この点を浄土真宗ではお浄土へ生まれるということを聴く中で確認してきたように思います。阿弥陀仏がお浄土へ生まれさせる、という願いを立てた。そのみ教えを頂く以上、いのちの行き先を心配する必要はない。さらに、地獄や餓鬼や畜生、果ては天も含む迷いの世に生まれることはないのだと。
 自らの死に向き合っていく中で得られる安心感や温かさもまたあることをみ教えの中に聴いていきましょう。
 
 
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 【おまけ】
六道(古代インドの生命観)
地獄:
 苦しみのきわまった世界。現世に悪業をなしたものが、死後その報いを受ける所。
餓鬼:
 福徳のない者が陥り、常に飢え・渇き・苦しみに悩まされて、たまたま食物を得ても、これを食べようとする、炎が発して食べることができないといわれる。
畜生:
 性質が愚癱で、貪欲・淫欲だけをもち、父母兄弟の別なく害し合い、苦多く、楽の少ない生きもの。けだもの。動物。
修羅:
 阿修羅。嫉妬心の強いものが堕ちるとされる。闘争してやまぬ者。争う生存者。
人間:
 人間の世界。
天 :
 天上なる世界、神なる世界の意。すぐれた楽を受けるが、なお苦しみを免れえない生存の境地。  
 
さらに、天人は死の直前に5つの徴候が現れる。大きなものとして①衣服が垢で汚れる ②頭上の華鬘が萎える ③身体がよごれて臭気を発する ④腋下に汗が流れる ⑤自分の座席を楽しまない 
  【以上は佛教語大辞典を参照】






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