お盆だよ全員集合。
自分は平日休みの日もあるけど、職場自体は土日祝固定のお休み。
だから、お盆休みと言うよりは普通の3連休という感じで、全くお盆感が無いまま本番を迎えてしまった。
だけど、
いざ始まってみれば、夫婦それぞれの実家の墓参りや、ちょっと気の重い用事もちゃんと済ませられたりと、お盆時期のやるべきことをしっかりやれて気持ちをスッキリさせることが出来た。
中1日はちゃんと個人的なお出掛けも出来たし、果たして形に出来るかは分からないが、noteで記事にしたいネタも下書きに沢山増えた。
結局終わってみれば、お盆らしい充実したお盆休みが過ごせたと思う。
あと、非日常感で言えば。
旦那さんが少し長い5日間のお休みだったので、帰るとお家に旦那さんが居るという中々ないシチュエーションがあったこと。
帰って家に誰かが居るというのは、やっぱり嬉しいものだと思った。
そう感じるのは、
いつきの母が専業主婦で、子供の頃から母と沢山の動物達が、帰った自分を迎えてくれるのが当たり前だったからかも知れない。
他人と居るのは楽しい以上に疲弊もしてしまう面倒な自分だが、基本的には寂しがり屋なのだ。(寂しがり屋とか言って、キモいと言わないで。)
実家には、それぞれ独立するまでは妹弟もいたし、夜になれば父も帰って来た。
何時でもわちゃわちゃ。
そんな、家族と居る空間が何より素で居られて、安心出来る人間だったから。
結婚して実家を出て、家にひとりと言うのは慣れなくて、最初は結構心細かったりした。
チキンなので、薄暗い廊下の先や、背後、お風呂場の鏡なんかも、お化け的な意味でも怖がっていた←
今では流石に慣れたけど(笑)
仕事からグッタリして(暑いから尚更 笑)家に帰れば、明かりがついていて。
『ただいま』に『おかえり』が返って来て。
自分以外の生活音と気配が常にする。
やっぱり、嬉しいなと思う。
そんな自分は、一人暮らしは向いてないんだろうなとつくづく思った。
お盆は、亡くなった人たちに想いを馳せる日。
嫌でも身近な人の死を意識させられる。
『最後は誰しもひとり、孤独に慣れ親しむ』
人生のバイブルにしたい本にはそんな感じの事が書かれていた。
本当にそうだな、と思う。
そう成らねば、とも思う。
でも、
まだまだ未熟な自分は、その境地に立つには程遠いようだ。
今はまだ、大切な人たちが心健やかに、生きていてくれる今にただただ感謝して。
1日でも長く、この心の安寧が続いて欲しいと願ってしまうことを許して欲しい。
折角家族と顔を合わせる賑やかな連休に、こんな後ろ向きな事を考えてしまうあたり、自分はやっぱり甘ちゃんだ。
でも、亡くなった故人を偲ぶ以上に、今生きている人たちを大切にしたいと気持ちを新たに出来た。
なんだかセンチな方向に話が行ってしまったが。
空の上のご先祖様たちに、感謝と、決意表明も伝えられた。
また一年、ご先祖様たちに見られても恥ずかしく無い生き方をして、来年のお盆を迎えたいと思う。
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