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正義

 暗がりから急に照明をつけたところでちょうど目を閉じちゃって、瞼の裏の血管の赤さが目にしみて痛む。
 部屋は散らかって足の踏み場もない。照明に照らされたポテチの袋の銀色がキラキラしてやかましく、そのキラキラに紐付いた記憶の砂がちょっとだけ動くさまに気を取られていた。

 救急車! 早く救急車呼んで! とトラックの運転手らしい男の叫ぶのが聞こえて、事態の処理に追いついた脳が目の前の状況に震えていた。会社から帰りがけの駅前、バスターミナルの近く。十字路を突っ切って電信柱にぶつかったトラックの尻の下から何か見えそうでとっさに目をそむけた。信号を無視して女の子が横断歩道に飛び出したらしい。あたりには人が群がりを始めていた。騒ぎのためか、近くにいた女の一人が漏らしていた。一瞬何が起きたのか、周囲にいた歩行者はみんな固まって、空気も凍らせたみたいに固まって、悲鳴が立つ。場の異常さをはさらなる人を呼び、野次馬は群れをなし、取り出したスマホカメラのパシャパシャで女の足許に敷かれた点字ブロックが濡れて光る。
 SNSには事故についての呟きがすでに何件か出回っていて、その何件かに連なって人々の反応が投下され始めていた。
「これトラックの運転手がかわいそう泣 今年で定年だったらしいよ」
「自殺したってことだよね」
「自殺した奴クズじゃん。死ぬときくらい人に迷惑かけずに死ねよ」
「自殺するくらいだからろくな生き方してこなかったんだろうな」
「わざわざ人の多い時間帯選んで死んだんでしょうね。親は何考えてるの?」
「親は関係なくない?」
「親に矛先向けてるやつ論点ズレすぎ笑 そういうことじゃなくない?」
 飛び出した子の心境なんて今さら理解することじゃないし、わたしには関係ないけれど、同情を上回る無遠慮な呟きの群れに居心地が悪くなってスマホを閉じた。痛み出した目の奥にあるのは無力感で、人が死んだあの場にいたにも関わらず、ただ何をするでもなく周りよろしく突っ立っているだけのわたしの姿をわたしは見つけていた。あの時のわたしは紛れもない、あの野次馬の一人だった。

 遠い国の歌手が空爆で死んだらしい。SNSに流れてくる四角い情報のひとつとして知らされた。名前も知らぬその子のことを画面越しに見てもいまいちピンと来なかったけれど、記憶の糸が死という共通点を用いてわたしをあの事故現場に引き戻そうとしているのを感じていた。あのトラックの一件から数日経った今、インターネットの記事では本当かどうかも分からない自殺の真相を取り上げていた。そもそも彼女の自殺はいじめが原因だった、家族との不和だ、恋愛沙汰だ。どれも憶測の域を出ないし、自殺した理由なんて結局あの子にしか分からない。意見を振りかざして互いに罵り、ぶつかり、いがみ合い、時代や社会が変わればその規模は正義という大義名分を孕んで膨らむ。果てには奪って、殺し合うことをいつまでも繰り返す人々の渦を画面越しに見るような気がした。人の争いに終わりはない。トラックに轢かれたあの子も、空爆で死んだ彼女も、自らの正義で生きていただろうか? 分からない。けれどもあの子は、あの子の信じた正しさでトラックの前に飛び出した。彼女たちの死もしばらく憶測や話題の種になり、飽きたおもちゃみたいにそのうち忘れられるんだろうなと思った。

 携帯のパスコードを入力した。開いたSNSに飛び交う意見の応酬はいつもと変わらず誰かを晒して吊し上げ、切り取られた文字の列はごうごうと火を吹いていた。相変わらずの様子を画面越しに追いながらふと、人々は正義によって滅びるだろうともう一人のわたしが云った。正義の魔の手から逃れる術を知らないでいるわたしの顔は、画面を消した真っ暗な液晶に映って化け物のように見えた。
 正義による滅びがいつやって来るのか分からない。けれども、分からないなりに恐れは浸水する雨水のように、わたしの足裏を浸して怯えることすらままならない。

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