嫌なこと、もの、人を「捨てる」ことのすすめ

私は誘われたら断らないタイプでした。どんな人にも長所があって魅力があってそこを探りたいという好奇心があったのだと思います。

ただ、今年に入ってその考え方が変わってきました。

価値観が合わない、話を合わせるのに疲れる人と一緒にいることがとても虚しい気持ちになることに今になって気づいたからです。

それまでは「まあそういう考えの人もいるのか」と流しているような、でも頭の中でずっとモヤモヤと考えてしまうようなことを繰り返していました。

結婚して、子供ができて、日々の生活に幸せを感じていると、そんな人と付き合い続けることに疑問を感じてきました。

なぜ、この人と会って、気を使わないといけないのか、その時間と労力を家族との日常生活を犠牲にしてまで使う必要性はどこにあるのか疑問に思ったのです。

「長い付き合いだから」「友達は大事にした方がいいから」そんな漠然とした一般論で今までのその人と付き合うことを肯定してきました。

今年に入って、母のことが限界を迎えて、母と距離を取るようになってから、他のいろんなことに対しても「どうして今まで嫌なのに我慢してやっていたんだろう」と思うようなことを自分はたくさん持っていることに気づき始めました。

友達の一部もそうですし、自分のなにげない日常生活でのルーティーンや考え方の中にもそういったものがたくさんありました。

今はその「自分にとって苦痛を感じるもの」「時間や労力を割く必要ないもの」を自分の中から少しずつ距離を置いて、排除していっています。

ある人からすれば、「そんなの当たり前のことじゃないか…」と思われるかもしれませんが、私はこの歳まで本当に気づかなかったのです。

実際、嫌なもの、嫌な人を自分の中で距離を置いたり、捨てたりすると、それだけでとても居心地のいい生活になったのです。

とても穏やかな気持ちで日々を過ごせていて、明らかに以前よりメンタル的な余裕があるし、ネガティブな感情に支配される時間が減りました。

自分のこともよくわかるようになりました。何が嫌で、何が好きで、何がしたいか、したくないか以前よりもスピーディに的確にわかるようになりました。

今までの私は自分の気持ち、感情を麻痺させていたんだと思います。自分がどういう感性を持っているのか、自分の中で無視し、「今ここで何をするのが一般的に正しいとされるのか」そればかりを基準にしてやってきたような気がします。

そうした方がいろんなことをうまく回っていくから。世間一般の「普通」の範囲から飛び出さなくて済むから。それが一番自分にとってもいいんだと思い込んでいました。

でも違いました。何をするのが妥当か、人としてどう見られるかを気にしている状態はずっと自分の存在を無視しているのと同じだったんだと思いました。

他の誰がなんと言おうと、他の大勢の人と感じ方が違っても、まずそれを自分自身で受け入れて、「ああ、自分はこのことに対してそういうふうに感じているんだな」と自分が理解を示す。それをメモなり紙なりに書き出すことで視覚化するとよりよい気がしました。それに対して、どう行動するかはその後で考えます。感情のままに行動するのではなく、一旦自分の感情を味わって、認める。その後に自分の立場や今後のことを考えて実際どう行動するかを考える。感情と理性の妥協点を探るのです。

そうしていると、自分のことを以前より好きになって愛せているような気がします。他の人と同じように感じない、普通の感性とは違うこともある自分自身のことも面白く感じて、もっと自分のことを知りたいと思うようになりました。人のことに対してもより寛容になっている気がします。

嫌なこと、苦痛に感じている時間、人を一度手放してみるというは非常にいいことだと思います。

一つ捨ててみると、いろんなことが明確に見えてくるようになります。

心の中で「捨てる」「諦める」ことって、ネガティブな言葉ではありますが、実践してみると、言葉とは裏腹にとても爽快な気持ちで晴れやかな生活が送れるようになります。

もし、あなたも何か嫌だけど続けているようなことがあれば、その物事と距離を置く、捨てる、諦めるということを実践してみてはいかがでしょうか。

その物事が大きければ大きいほど、得るもの、見えてくるものがあると思います。

反対に、我慢し続けることは非常に怖いことだと思います。その影響範囲は我慢して続けているその対象だけにとどまらず、自分のこと全般的に麻痺してわからなくなってくるからです。

もし、浮かない気持ちの生活が続いている場合は、一度一番嫌だけど我慢しているものを思い切って捨ててみてはいかがでしょうか。

あなたもよりよい生活を送れることを祈っています。














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