これまでのこといろいろ

 今日は一日雨。なんだかどことなく気持ちが沈みがちで、頭痛がするし、何よりお通じが5日も出なくて、気分が悪い。先日かかりつけの内科で事情を話し、お腹のお薬を数種類出してもらったのだが、なかなか効果がでない。いままでそんなことはなかったのだが、知らないうちにストレスがたまっているのかもしれない。

 さて、先日最後に書いた「心のSOS」の話をしたいと思う。

 昨年の4月頃から、仕事が終わり帰宅後、へとへとで何もする気が起きず、化粧も落とさず、着替えもそのまま、入浴もせず、布団へ直行、そのまま朝を迎える。前日と同じ格好で会社に行くわけにも行かず、慌てて飛び起き、急いで入浴し、着替えてメイクをして、電車に飛び乗って会社に向かう。悪循環な生活の始まった。休みの日は布団と友達だった。目が覚めるのはお昼。せっかくの休日なのに半日も眠ってしまった。休みの前の日は、「あれもしよう、ここにいこう。」などと計画を立ててみるのだが、結局半日無駄にし、何もせずに休日が終わり、年老いた親たちからは「あれもしてほしかったのに。」と責められる。何もできなかった自分に、罪悪感と同居している両親に対して申し訳ない気持ちに襲われた。
 こんな毎日を繰り返していくうちに、ある日ふと、
 「どうせもういい年だし、独身だし、非正規雇用、周囲は結婚して、子供がいて家もあって幸せに生きている。私はどうせ何をやっても何もかわらないんだ。こんなだったら人生を終わらせたい。」と思うようになってしまった。
 家に帰っても「○にたい」とばかり家族に言っていた。年老いた両親もそんな私の言葉なんて聞きたくない、というばかりだった。「○にたい」とばかり毎日同居しているいい年の子供から言われたら気が滅入ってしまう、聞きたくないのは当たり前だ。
 一度この悪い思いに捕らわれてしまうと、「どうやったら楽に○ねるかな?」ということばかり考え、具体的な方法を思い浮かべ、実行しかけたこともあったが、中途半端で終わった。もし、本格的に実行して最悪の事態にいたったとしたら、と今、思い返すと寒気がする。命があることに本当に感謝したい。
 かかりつけの心療内科の先生に相談し、「まずは休みなさい。家から離れなさい。」という助言をいただいたものの、私には行くところはない。でも行こうと思えば、図書館、ネットカフェもあっただろう。正直、そこまで足を向ける元気がなかった。同居している両親からは繰り返し、寝てばかりいて。疲れているのはお前だけじゃないだろう。少しは家のことをやれ。」と何度も言われて、内心、私は「分かっているけど、体が思うように動かないんだけど。」それが現実だった。

 毎日、職場では平気な顔をして仕事をしていたが、心は「助けて」という気持ちだパンパンだった。
 私の会社には医務室があり、看護師さんが常駐していた。普段からその看護師さんに仕事で辛いことがあると話を聴いてもらったりしていた。同僚にはさすがに「○にたい。」とは言うことはできなかったが、その会社の看護師さんに事あるごとに「○にたい。」ともらすようになってしまった。
 とうとうある日、私は看護師さんの前で「今から、○にに行きたいと思います。」と口走ってしまった。その後、その看護師さんに今までにないきつい言葉で叱られたこと、「なんでそんな馬鹿なことを言ってしまったんだろう。」という後悔の気持ち、相手に対する申し訳ない気持ちなど、なんとも言えない気持ちが心に広がったことは、はっきり覚えている。このことを思い出すと「なぜあんな言葉を言ってしまったんだろう。」と今でも後悔の気持ちは変らない。
 その後は、会社の人事の方に家まで送ってもらい、家に帰った後、父と母とどんな会話をしたかは思い出すことはできない。とにかく多くの方々に迷惑をかけてしまった一日だった。

 翌日人事から、「かかりつけの心療内科に行って、勤務可能か否かを確認すること。もし、休職であれば診断書を書いてもらい、提出するように。」という指示があり、心療内科に連絡をして診察を受けることになった。
先生に昨日のことの顛末を話す。真剣に耳を傾けてくれた医師は、「しばらく休職しましょう。」と言ってくださった。その言葉に正直ほっとした。
 しかし、前述の通り現実問題として自宅で休息することは困難な状況である。寝てばかりいる私に対して、両親は相変わらず「寝てばかりいないで。」、更に、「時間があるなら、叔母さんのところに行くから手伝って!」と言ってくる。この叔母とは、高齢で独身の叔母達のことだ。
独身なので配偶者、子供がいないので、頼れるのは私たち家族だけである。
この老齢の叔母達の面倒を見るようになってもう10年近くになるだろうか。
買い物、病院への受診、役所への手続き、問い合わせ、銀行などなどをやるようになった。無論、私の両親も高齢である。高齢の人間が、更に高齢の者の面倒を見る。いわゆる「老老介護」である。私の両親が手に余る部分が、私にかかってくるのだ。叔母達の暮らす家と、私の実家は車で片道1時間かかる。叔母宅でいろいろやっていると一日があっという間に過ぎ、帰宅するのはいつも遅くなってしまう。私は自分が苦しい状況であるのに、そこに叔母達の介護という負荷がかかることが非常に辛かった。私が、会社を休職しているのは叔母達の面倒を見るためではない。自分の心と体を休ませて元気になるためだ。

 次の受診で、上述のことを医師に話した。医師は私に「入院も検討してみてください。」と言った。
 その言葉を聞いた途端、「入院ってどこの病院に入院するんだっけ?手術するわけじゃないんだから、近くの総合病院じゃないよね。あっ、もしかして精神病院?!」
 私の頭は一瞬、混乱した。まさか、そんなことを言われるなどと思っていなかったからだ。大変複雑な気持ちを抱えたまま、私は帰路についた。

 帰宅後、両親に医師の言葉を正直に伝えた。案の定「精神科に入院なんて反対だ。」と声をそろえて言われた。
 私は反対されることは予想していたし、自分でもまだこの時は「私が精神科へ入院なんて。なんで・・・なんで・・・」とショックだったし、受け入れることができないままだった。

 しかし、現実は変わらずであった。寝てばかりいると、なぜ寝てばかりいるんだ、と言われるのは変らない。段々自分自身が追い詰められていくような気持ちになった。そして段々と、「この家で、この環境で私が『休む』のは無理なんだ。」と認めざる得なかったのだった。
 とうとう私は意を決した。「休むためには精神病院へ入院するしかない。」と。
 まず始めに両親を説得することにした。ひたすら今の環境では、『休む』ことが難しいこと、医師が言うとおり、精神病院へ入院したい、と繰り返した。しかし、首を縦にはふらない。私は、自分自身を守るために諦めず、説得をした。説得を始めて2週間後、母から「その病院見学とかさせてもらえないの?」という言葉がやっとでたのだった。

 深い内容になってしまい、申し訳ない。こういった出来事を読みたくない読者の方もいらっしゃると思う。もし、読んで不愉快になるのであれば、そっとスルーしていただけると助かる。この記事を書いているうちに、時は経ちもう6月だ。一年前の出来事である。この続きはまた書きたいと思う。





 
 
 

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