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何かを変えることのできる人間がいるとすれば、それは、大事なものを捨てることができる人だ

 これを読んでいる諸君。浪人や留年と聞くとどういうイメージを抱くだろうか。

 <大事な機会じゃないか?>
 <そういう時間もいいよね>
 <自分にとって財産になるよね>
というポジティブに捉える者。

<機会損失してしまうんじゃないか>
<生涯賃金が低くなってしまうんじゃないか>
<1年何してんねん>
というネガティブに捉える者。

 人がいる分だけその考え方の数は無限にあるだろう。しかし、ここ日本においてはその浪人や留年、ニート期間など身分を持たない一年についてマイナスに思う人が圧倒的に多いのではないだろうか。
 日本においては、人生で決まったレールを走ることが安心という考え方が根強く残っている。まるで、レールを走っている列車のような状態だ。だから、その中で急にレールがなくなってしまうことやそのレールを走っている列車が途中駐車してしまったことに対してこの上ない不安感を覚えてしまうのだ。
 そして、日本人には、定年までレールに乗って走り続けそのあとは自由なスローライフという一連が理想として掲げられている。だから、そのスローライフのために良い会社で安定した良い給料とまとまった退職金を得るために大企業や公務員を選ぶ人が多くなるのだ。
 一方で、アメリカではどうだろうか。アメリカの方ではギャップイヤーという文化があり、高校時代や大学時代などの若い時代に一年間仕事も勉強も何もせず自分にとってあったものを探すための時間を作り、そしてそこで見つけた道というものが人によってはポーカープロであったり、はたまた起業家であったり、ダンサーであったりと多種多様でそしてレールなどはなく道なき道を進む冒険家のような人生を好む人が多い。だから、アメリカにおいては一年間どころか3年や5年くらいそれを探すための時間を使う人も少なくない。
 では、日本でこのギャップイヤーを取り入れるにはどうしたら良いのだろうか。先述したように人がいる分だけその考え方の数は無限にある。だから、列車に乗るよりも冒険家としての生き方をしたいという人も日本にいておかしくはない。実際に、日本でも起業家やベンチャー企業、SNSのインフルエンサーが数多く存在している。しかし、彼らは結果を出している今だからこそチヤホヤされているが、実は彼らのギャップイヤーというものはとても悲惨であるパターンが多いのだ。例えば、レペゼンフォックスのDJ
社長は駒澤大学に就学中、数多くのイベントを行い、その際に、失敗が重なった結果消費者金融や学生ローンなどから何百万の借金をしたという話がある。おまけにDJ社長と同じモデルの人間が<闇金ウシジマくん>で債務者の末路という形で流れていたため周りからは当然冷ややかな目で見られていたという話がある。
 また、浪人生においても医学部に向けてだったり旧帝大に向けて浪人をしている彼らに対して「身の程を弁えろ」だったり、「あいつ大丈夫かな」と悪いイメージで見られがちだ。
 だから、今まで友達と思ってた人もいなくなってしまう。すなわち孤独に陥りがちであるということなのだ。
 
 一方で、レールの人生においては確かに孤独や1年という長い時間の不安定な状況による不安に駆られることはないだろう。しかし、その分冒険家のような刺激を得る機会というものは少ないだろう。
 つまり、両方を獲得するという道はほぼないということが現実だ。だから、その道を選ぶのであれば何かを捨てなければいけないということだ。
 <進撃の巨人>というアニメがあるが、そこの名言として『何かを変えることのできる人間がいるとすれば、それは、大事なものを捨てることができる人だ』というものがある。
 この名言は、まさにこの話につながってくる。そう。自分がその道を選ぶには、どうしても何かを捨てなくてはならないのだ。だから、1年や2年どうするかが問題なのではなくその道を選ぶのであれば、何かを捨てる覚悟があるかどうかなのだ。

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