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『列』月1読書感想文 11月

『列』 中村文則 2023年 講談社

主人公の『わたし』は気がつくと列に並んでいた。
その列の先頭は分からず、最後尾も分からない。
並ぶ目的も、列の先に何が待つのかも誰も知らない。
先頭も最後尾も見えない長く真っ直ぐに伸びる列に、並んでいる人々は苛立ち一歩でも自分が先に進むことができたのなら、他人を出し抜くことも厭わなくなって行く。

列は競争社会である世の中を指し、そこに並ぶ人々は、そんな世の中で僅かな手柄を争い、他人より優位な立場に意味を見出す日々を表している。


あらゆるところに、ただ列が溢れているだけだ。何かの競争や比較から離れれば、今度はゆとりや心の平安の、競争や比較が始まることとなる。私達はそうやって、互いを常に苦しめ続ける。

『列』より

そうなのだ。
SNSでも仲間内のおしゃべりでも、有能な自分、手に入れた素晴らしい所持品、出身地、出身校、勤め先、高い地位等々、何かしらを発表し他人に褒められ羨望の眼差しを向けられたいという願望を持つ。
さらにそこから離れたとしても、今度はその離れた事に対して他人との比較が始まる。

以前ニュース番組の特集で、高級時計ヒエラルキーからの脱却というのを見た。
腕時計は高級な物が多くステータスとして判断されやすい。そんな意味の無いない競争を避けるため、自分たちはアップルウォッチにしているという説明だった。
体調の管理等でスマートウォッチが良いのであれば、機能も優れていて安価な物はいくらでもある。それでもそのブランドを『競争から降りた』と自称する人たちがこぞって買うのは、ただ単にステージを変えただけの新たな競争なのだろう。
結局は、不毛な競争だと馬鹿にしながらも、また別のカテゴリーの中での頂に登らなければ気が済まない。

物欲のあるなし、所持品の多さ少なさ、豪華な物に見た目はシンプルな物、ぎっしり予定の詰まったスケジュール帳に気ままに生きるために捨てたスケジュール帳。
方向性は真逆でも、こちらの世界から脱却すれば、あちらの世界でまた違う競争が始まる。ゆとりがあって、健康的で、心が落ち着ける世界を自分はどれだけ自由で素敵に生きているのかを、また他人と比較する。

そうして列はどんどんと長さを増して行く。

話が進むにつれ、『私』は猿を研究する研究員だと分かる。
猿の中でも、限りなく人間の遺伝子に近いチンパンジーは、思いやりを持つ一方でいじめや戦争、性暴力という人間社会と同じ忌むべき行動を取る。他の種ではほぼそれらはないという。
またボス猿を頂点とした序列社会のイメージがあるニホンザルも、それは動物園など人間が関係している環境下のみで出現するもので、自然界ではもっと横並びの緩い物だとある。
人間に近づくにつれ、生きづらくというか個体同士の摩擦が生まれていく、と言われているようにも感じる。

ただそうは言っても、この人間の持つ認められたい、他の人より一歩でも上に行きたい、という競争欲求が人間社会を支え文化も経済も発展させて来た、という部分もあると思う。
初めはそれなりに意味のあった事も、行き過ぎると害になってしまうということか。


話が終盤に差し掛かる頃、列に並んでいる人々のポケットの中に整理券が入っていることが発覚する。
その整理券は人によって枚数が異なり、その人の欲望が書かれている。
「金持ちになりたい」とか「親に認められたい」とか「ゆとりある生活を見せたい」とか、誰でも僅かでも持ち合わせている欲望だ。
そんな中で、私の整理券には「列に並ぶこと」と書かれていた。


「あなたの目的は、並ぶことなんだ」
「何かの願いより、もう並ぶことが目的になってるんですよ。…最悪だ。もう中毒にも等しい」
「でもそう書いてある。つまりあなたは、本当は」
「他人と自分を比べてずっと文句を言い、ずっと苦しんでいたいんだ」

『列』より




主人公は大学の研究機関に所属はしているが、次回の契約すら危ぶまれる非常勤の身分であり、ずっと不安定な立場で研究を続けてきた。
人は競争が嫌だと言いながらも、自ら選択して競争の場から降りるのは誇れることだが、初めからその競争の場に立つことが出来ないのは、屈辱であり激しい嫉妬や妬みの原因となるのだろう。
競争に身を投じられること自体が、自慢の種の1つとなり得るのだから、もう偶然拾った石ころでさえ、他の人との比較対象に出来るのかもしれない。

なら、主人公も含めわたし達が並ぶ列は、初めも終わりもない円の形なのかと思ってします。わたし達は永遠にぐるぐると回り続ける。その先に終わりがあると信じて。


その列は長く、いつまでも動かなかった。
先が見えず、最後尾も見えなかった。何かに対し律儀さでも見せるように、奇妙なほど真っ直ぐだった。
近くの地面には、「楽しくあれ」と書かれている。

『列』より


この『楽しくあれ』は、何度か主人公の目に触れる言葉である。
いくら『他人と比べるな』と言われても、それはなかなか難しい。
ならば、何かでちゃんとじぶんが埋まっているのであれば、無用な競争から降りる事が出来るかもしれない。

でも、本当に自分が満たされている人は、わざわざそうだとは公言したりはしない。ただ黙って自分の楽しみを楽しんでいるだけだろう。
そう考えると、自分もまだまだ『列』から抜け出せていないとため息と共に実感する。


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