感情に揺さぶられる人生のほうが、数倍も貴重
家族で笑い合っているとき、子どもと秘密の話をしてるときやふざけ合っているとき、ボーッとしていたり歩いていたり美味しいモノを食べてるとき、夫と子どもたちの笑い声を聞いているとき、あぁ〜幸せだな〜って感じる。
そんなささいな日常のひとこまが、本当は大切でキセキともいえる幸せ。
いまはそう感じていても次の瞬間忘れることもある。それが人間。
感謝が溢れていたはずなのに激怒することもある。
一日の中でどれぐらいの感情がわくのか、どれぐらい何も感じないフラットな時間があるのかはわからない。
気づくといろんなできごと、目の前にある景色にクルクルと心がうごいている。
うれしかったり楽しかったり、怒ったり悲しかったり、寂しさや苦しさ、愛してたり嫉妬だったり感動して胸をふるわせたり言葉で表現することが難しい気持ちだったり。
何にも感じないロボットになりたいと思ったこともある。
俯瞰してみると、わちゃわちゃ感情に振り回されてる自分って、案外悪くない。というかそれが人生の醍醐味じゃんって思える。
感情がなかったら生きる楽しさも味わえないし、何のために生きてるのかさえもわからなくなる。
ネガティブもポジティブも味わえるって、本当は幸せなことなんだ。
いま、うれしいと感じている。
いま、悲しいと感じている。
いま、愛しいと感じている。
いま、苦しいと感じている。
いま、さいこーと感じている。
いま、ムカつくと感じている。
いま、寂しいと感じている。
いま、幸せだ〜と感じている。
いま、死にたいと感じている。
いま、ホッコリしてると感じている。
いま、悔しいと感じている。
いま、キレイで美しいと感じている。
いま、いま、いま、いま、いま。
いま、見たくない感情に支配されて苦しくてもがいているとしても、いま、うれしい楽しい最高の気分がずっとつづけばいいと思っていたとしても、ぜんぶ宝ものなんだよね。
何も感じないロボットみたいな人生より、感情に揺さぶられる人生のほうが、数倍も貴重なんだ。
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