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からっぽな自分。

自分の事について考える時、
毎回“からっぽ”だと思い知る。

それは
仕事終わり感じるどうしようもない虚無感だとか、
脳みそに入ってる知識量だとか、
何をしても満たされないことだとか
誰と居ても感じる劣等感だとか
続いている趣味が一つもないことだとか
様々な考えが巡り巡り、結果、何もないと思い知る。

高卒の自分は明らかに他よりも語彙力も足りていなければ、小学校の算数すらもままならない稚拙で、からっぽな脳みそをしている。
同世代にいる大学生がすこぶる羨ましい。
飲みに行き、イッキし、カラオケオールなど、そういう大学生生活ではない。自分の好きな事について学ぶ。という本来の目的が羨ましくてたまらない。

大学生をしている年下の友人になぜそんなにも勉強が好きでいられるのか聞いたところ、
「かけるメガネの種類が増える」と。
それを聞いた瞬間今まで真面目だと
一言で済ませてた周りの友人達を見る目が大きく変わった。
それと同時に、勉強はしないいわゆる不真面目でいることがかっこいいと思っていた自分を大きく恥じた。

大人になると友人はとことんいなくなる。
そういう時1人でも教養を高め、自分のスキルアップに努め、尚且つ楽しく過ごしている人を強く尊敬する。
そうなりたいと思うが、自分は1人でいる事に耐えられない。漫画や映画に没頭することはできる。しかしその時間以外は大いに怠け、やろうと思ったこともできず、結局誰かに連絡を取り飲みに行く。
その友人も大人になるにつれ限られてくる。
そうなると、毎日のように同じ人と飲み歩いたところで、あまり生産性はない。知らない人と毎回出会い、話ができるのならば生産性はあると思う。だが、酒が入ったところで話の7割は飛んでいるし、何も後に残らない。

そういう毎日は、楽しくはあるが、儚く、からっぽである。

誰かと一緒にいると、寂しくはないが、
結局隣に動くものがあるだけで
自分の中身がからっぽであることは変わらない。

教養を高め、何か大きなことを成し遂げることができたのならば、からっぽな自分から少しは変わることができるのだろうか。

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