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昔岐阜の馬瀬に3年住んだ

私の21年の人生で、転換期はいくつかあっただろうが、
1番最初に訪れた大きな出来事は、馬瀬に引っ越したことだろう。

岐阜県下呂市、
”下呂温泉”は有名な温泉街なので、その名を聞いたことのある人も多いのではないか。
その下呂市には馬瀬地域という小さな集落がある。
元々は馬瀬村という1つの村だったのだが、平成初期に合併され、
今では下呂市の一部となっている場所だ。

私がそこに住んでいたのは、2010年4月から2013年の3月まで。
小学生の頃だ。
当時は人口2000人と言われていたが、今は1000人程度しかいないらしい。
小さな小さな”むら”である。

川で遊んだ。
川の水が冷たすぎてあんまり水に入れなかった。
中学生くらいのお姉さんたちが元気よく潜っていた。
すごいなあと、傍らで見ていた。

太鼓を習った。
和太鼓は好きだった。
人がいなかったから途中で篠笛担当になって、発表会に出た。

近所の神社の祭りのために舞子になった。
お祭りが終わったら500円もらえた。

朴葉寿司を食べた。
給食で朴葉寿司を作るために家にある朴葉を学校に持っていった。

田んぼで米を作った。
作った米でおはぎを作った。よもぎときなこ。
それを全校生徒(60人くらい)で食べた。
花餅も作った。

今もなお続けているバレーも馬瀬で始めた。
ありえないくらい美しい夜空を見た。
バレーの練習のあと、みんなでトマトとかとうもろこしとか食べた。

おひな様の時期は”がんどうじ”というイベントをした。
各家々おひなさまを飾り、その前にお菓子などを置き、
子ども達が家を回って、お菓子をもらえるのだ。
その日は学校が半日で終わり、友達とたくさん家を回って
お菓子を集めたのはいい思い出だ。

冬は長かった。
11月の終わりから雪が積もった。
毎日雪かきをしていたような気がする。
雪合戦も毎日やった。
雪合戦に熱中しすぎて、雪玉が近所のおうちに当たりまくって、
みんなで怒られたこともあった。

水道の栓が凍って、廊下が水日だしになったとき
マイナス7度の極寒の中、みんなで凍えながら
ぞうきんで廊下を拭いた。
そのあと、先生があったかいお湯をバケツに入れてもってきてくれて。
みんなであったか~いっていいながら
ぞうきんを洗った。

学年が11人しかいなかったので、
いつも5人対6人のドッジボールをやっていた。
飽きもせず毎日毎日やっていた。

スキー用の服を持っていなかったので、
よく知らない人からスキーの服をもらった。
野菜も毎日たくさんもらった。


馬瀬は私のふるさとではなかった。
私のふるさとは別にある。
岐阜の別の町だ。
都会ではないが、馬瀬ほど田舎でもない。
私のふるさとは帰ったときにほっとする場所。
馬瀬は今もたまに行くが、
行くと、懐かしさと緊張を覚えてしまう。

ただ、馬瀬は、私の特別な場所だ。
私のふるさとではできないことができた。
馬瀬は私を豊かにしてくれた。
馬瀬は私の好きな場所だ。

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