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神経症的なヘタレの僕

良い人になりたい、ずっとそう思ってる。
でも難しい。
損得でモノを考える癖が骨身に染みてる。良い振る舞いをしようと思っても、こんな事をやって何になる、何か得をする事があるのか、つい条件プログラム的な考え方をしてしまう。

コンテンツに依存した生き方をしてきた。ゲーム、映画、アニメ、小説、本当に色々なモノに依存してきた。頼りになるものがない不安からの依存だったと思う。昔から、人の言うことを頭っから信じる子供だった。その内、人の言うことが信用ならない事がわかるようになっていった。

親は自分が今まで言われてきた事を反復するような教育をしていた。良い教育もあれば、悪い教育もあった。
友人や大人達もそうだった。概して、自分の世界の秩序が壊れるのが怖いから、自分の世界観を押し付ける。自分の世界観とは違う価値観が怖い。だからそうするんだろう。

そういう人達が嫌だった。信じていたのに、俺を見て、俺にどんな言葉をかけたら良いのか思案した上での発言だと思ってたのに、ただ自分が言われてきた事を適当に反復しているだけだと言う事実に対するショック。そんな傷つきを、小さい頃はよくしていた気がする。

対して、コンテンツは裏切りがない。当然だ、だって人間じゃないから。頭ではわかっていても、依存は深まっていった。

俺は周りの人が見えてない。見るのが怖くなったからだ。まるで透明人間に囲まれてるような気分だ。記号的な特徴でしか人を見てない。人の内面なんて、まるで見ちゃいない。昔、自分がされて嫌だった事を、今になって俺が周囲にしている。

俺は、俺の心の信じたままに生きる。俺はきっと、どんな風に生きても、きっと立派になれる。
そう信じる強さがあれば、もっと良い人でいられたように思う。

俺はフロイトの言う神経症の典型的な症状を発しているんだと思う。人間不信からのコンテンツ依存。過度な美的価値観への傾倒。

そう言うのは、もう終わりにしたい。

差し当たって、まずは自分の事を毎日祈ろう。生まれ変われますように。心のままに生きられますように、と。


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