残陽 2

時が過ぎ戦さは始まった。
信幸の藩も出陣をした。
天下分け目の大戦であった。
小藩であればある程、この参戦に意味を持った。
出柄があれば
目に映る戦績があれば
加増は夢では無くなる。

信幸の父
現•田原家当主、田原正幸はこの戦さを終え家督を信幸に譲ろうと考えていた。
早い隠居だが、若い力に託す事を良しと出来る品格を持っていた。
つまりは夢を見ていたのだ。

あの赤い夕陽の中で笑い合い、競い合う若者たち。
この夕暮れの空気と田舎の土の匂いが、やんわりと全てを幸せに見せてくれた。
だからだ。
努力は必ず報われると錯覚していた。
生き死にの掛かる戦さ場においても、上手くいくという気分で居てしまった。

正幸自身が戦さを知らぬ訳では無い。
だが現実にこの男は生き残ってきた。
それもある。
信幸は剣の腕ならば自分にも劣らぬ。
親馬鹿では無い目を持ってはいたが、初陣というものの魔力は忘れていたに違いない。

信幸を馬に乗せ、屋敷に集う者どもも隊に頂いた。
前線である。
槍を構えた足軽どもが
恐れと震えを蹴飛ばすが如く、獰猛な唸りを上げ突き進んでくる。
皆、同じく槍をぶつけ迎えうつのだが、、、
そこに刀の出る幕は無い。
大勢を得ねば刀なぞは抜く時は無い。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人がうねりに見えた。
黒い具足に陣笠に槍を突き出す一定の動き。
それは最早、人には見えなかった。
巨大なうねりが押し寄せてくる様を
信幸は初めて体感していた。

「怖い。」

まさか。
思ってもいなかった感情が生まれていた
己の乗る馬の横に立つ父は声を上げ、皆を鼓舞する。
本来ならば自分の役回りなのだろう。
が、信幸は身体の震えに任せたまま呆然としていた。

「怯むな!押し返せ!」

声も虚しく己の軍が押されてくる。
見知った者の背が大きくなる。
中には倒れ伏す背もある。
当然あるのだが、、、
信幸の頭の中には無かった。
そんな光景を思い描いてはいなかった。
いなかったのだ。

「紫乃、、、」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「うわあー!」

慎之介が太刀を抜くのが見えた。
槍では取り扱いにくい程に攻め込まれた。
片手に太刀を持ち、双方が揉み合いになる。

「首を取るのだ。」

この陣を破り大将を仕留めた証となる。
向かい来る者どもが、この馬を目指している。
皆が具足の隙間を狙い刺し込む。
が、戦さ場を知らぬ若者は
鍛錬場での打ち込みを反射的にしてしまう者もいる。
怖さはすべき事を時に忘れさせる。

「うわああーーーーーー!」

信幸は馬から降り太刀を抜いていた。
すべきでは無い。
撤退し陣が破られた報告をすべきだ。
その為にも馬がいる。
悪戯に数を減らす事も無い。
まだここは先陣でしかないのだ。
戦さの流れが決まる場では無い。

だが、信幸は抜いた太刀を握り締め
前へ前へと進もうとした。
その身を止める者たちが居たが誰かは分からぬ。
ただ、誰かを斬った感触があった。
それが信幸の思考を赤く染めた。


つづく
https://note.com/clever_hyssop818/n/n54f52f6f1c69

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?