残陽 18

「北方殿、引かれよ!
 このうどん屋の気持ちが分からぬか?」

「止められぬのだ、堀出殿。
 この親父も儂と同じ咎を背負うておる。
 守れなかった咎、殺してしもうた咎
 戦さ場にてとは言え
 それは身内の死を近くでこの目で見、
 救えなんだ咎なのだ。」

「馬鹿な!
 それが戦さじゃ!北方殿!
 その御覚悟も持たなかったのか!」

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信幸は頭を木刀で殴られた気がした。
信幸からは堀出は歳も上だ。
武士として幾多の修羅場を生きたのだろう。
遥かに上の男だと見えていた。
その堀出でさえ戦さ場を畏れたと見えた。
だが堀出は生き延びてきた。
その違いが、この覚悟なのだ。

俺には覚悟など無かった。
ただ手柄は上げられると信じていた。
それはその為に日々を費やしてきたのだから
あの時の信幸には当然に思えていた。

「ああ、俺はそんな事も分かっていなかった。」

信幸は今分かった。
何故、俺は
この北方新兵衛が死ぬ事を気に病んだのか。

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「北方新兵衛!

 俺とて死にたかったのだ!
 死して詫びるしか無いと思った。

 だが死ねなんだ。
 それさえ怖かった。

 俺は心底井の中の蛙で
 戦さ場の覚悟も知らなんだ。

 だが生き恥とは思うておらん!
 其方とは違うのだ!
 俺には妻、紫乃がいる!
 紫乃が俺を許してくれたのだ!
 その紫乃を僅かにでも幸せにする事
 それが俺の罪滅ぼしだ!」

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「そうか、うどん屋!
 其方は武士であったな。
 いや、捨てて初めて武士になれたのだな。」

堀出は深く頷いた。

「それに引き換え北方新兵衛!
 武士にありながら、未だ武士を知らずか!
 このうどん屋は命を賭し
 妻との暮らしを全うしようとしている。

 其方とは同じでは無いのだ。」

「いや、そんな事は無い!
 いずれ良心の呵責が苛む。
 全て捨てたくなる。
 一度、武士を捨てたのだ。
 既に捨て癖があるものだ。

 必ずまた折れる。
 それこそが、生きる哀れよ。」

「最早
 言葉は要らぬか。」

堀出は再び刀を上げた。

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「あなたー!」

闇に紫乃の声が響いた。
走り寄る音がする。

「あなた!これを!」

紫乃である。
胸に抱えた細長い包みを信幸に押し付ける。

「これは、、俺の刀!」

包みの下から懐かしい感触がある。
急いで中を出すと、まさしく父の形見であった
信幸の刀があった。

「断ち切らねばなりませぬ。
 これは、あなたの役目で御座います。」

紫乃の瞳が信幸を射る。
信幸の手にぐっと力が籠る。

「御内儀まで、邪魔をなさるか。
 何故じゃ?
 儂の生き様を皆で笑いおるか?」

「生き様など御座いませぬ!
 貴方は勝ち組に居ただけです。
 今また江戸にて役割りを持たされているだけ。

 その手で、何物を成されましたか?」

北方新兵衛の身体がぶるっと震えた。


つづく
https://note.com/clever_hyssop818/n/nf8d3bab2787b

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