残陽 11

屋台のうどん屋が馴染みとなり
常連の客も増えた頃にこの騒動が起きた。

もうすぐ仕舞いにしようかという
夜も更けた時分に来る老武士がいた。
いつの間にか一言二言と交わす様にはなる。
何やら昼は人足を見回り
夜には人を捜しているらしかった。

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「この店の切り麦、いや、うどんでしたか。
 本当に美味い。美味かった。
 だが、これが最後となるやもしれぬ。」

その日、老武士である北方新兵衛は言った。

「寂しい事をおっしゃいますな。
 どうかなされましたか?
 国本に戻られるのですか?」
「いや、明日、、
 儂は多分死ぬ。」
「何ですと!」

新兵衛は薄く口元を緩めた。

「いや、これは申し訳ない。
 驚かせましたな。」
「驚きますよ、、そりゃあ。」
「誠に申し訳が無い。
 、、、
 親父さん、やはり元武士であったか。」

信幸はまた驚かされた。
隣にいる紫乃の顔にも不安がよぎる。

「死という言葉に応えたその姿
 町人のものでは無い。
 死が行く先にある者の有り様。」

屋台が軌道に乗り
勇也たちを習い、町人らしい言葉を学んだ。
だが見知った武士からの「死」という言葉は
信幸の気骨を昔に戻した。
もはや有る筈も無い刀を掴もうとした。
思わず前にのめってしまった。

「いや、、お恥ずかしい。」

そう応えるのがやっとだった。

「あの関ヶ原にいらしたか?」
「、、、はい。」
「儂も居た。我が隊は先頭におった。
 敵方はまず我らに向かってきた。」

信幸とは別の場所であったか。
だが戦場において起きる事は変わらない。
怖かったろうか?と思った。

「その時、息子が目の前で斬られた。」
「な、、何と!」
「その最後の姿が目から離れぬ。
 あの男も江戸に流れているやも知れぬ。
 その一心で日々を過ごしてきた。
 そしてついに見付けた。」
「仇を見付けたと、、」
「今日、その男に果し状を渡した。
 勝負は明日の夜。
 相手は儂よりは若い。力もある。
 勝てぬ勝負であろう。
 故にこれが最後のうどんとなろう。」

信幸の顔色が青ざめていく。
紫乃はそっと手を握った。

「武士を捨てたには訳もあろうな。
 いや済まぬ。
 嫌な事を思い出させた様か。」

口の渇きを破る様に信幸は

「しかし、、それは戦場の習い。
 仇とは、、、
 いささか筋が通らぬかと。」
「分かっておる!
 頭では分かっておるのだ!
 だが幼き時より育てた我が一子よ!
 この無念、この憎しみ、この恨みは
 消せはせなんだ!」 

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紫乃の目が見開かれた気がする。
屋台での暮らしに慣れ
昔を過ぎ去りし時と思えてきたと言うのに
また引き戻される眩暈を感じた。
消えはしないという事か?
あった事はあったのだと知らせに来たのか?

今が幸せである事は
過去の罪の上にはあってはならぬというのか?

それは違う!
人は過ちを犯す。
誰もがそうであるのだ。
だからといって
前に進む事を否定される訳では無い。
無い筈なのだ!

紫乃は薄く震える夫の手に
さらに力を込めていた。


つづく
https://note.com/clever_hyssop818/n/n8f6e5c15e678

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