残陽 9

「妻の紫乃で御座います。」

夕刻、信幸の小屋を訪れた
勇也と仲間、鉄斎を美しい女房が出迎えた。

「はあーこいつあ別嬪さんだあ!」
「こんな綺麗な人、初めて見ただなやあ。」
「おい!手前ぇら、不躾だろが!
 大変失礼しました。」
「いえいえ。
 何やら国本を思い出せました。
 主人の為に色々とありがとうございます。」

勇也も美人に弱い。
その美人に頭を下げられると
むず痒くなる。

「やめて下さい。
 あっしらは切り麦が食いたくて。」
「手前味噌ですが
 主人の切り麦は国本でも評判でした。
 祭りには振る舞ったものです。」
「へえー!
 そんなにですかい!」

信幸は今宵ほんの礼にと
勇也たちに切り麦を食わせようというのだ。

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「本当にありがとうございます。
 あんなに溌剌とした主人を見るのは
 久しぶりで御座います。」

信幸は襷を掛け、鉢巻をし
一心不乱に切り麦を打っていた。
信幸の切り麦は
広く伸ばし
太く細長く切った。
今のうどんに近い形である。

「お!こりゃあ俺が食ったのとは
 形が違うぜ。
 もっと長目の餅みてぇなやつだった。」
「これは俺が試しにやってみたんです。
 伸び辛く少し太目にしてます。
 まあ、食ってみて下さい。
 これを味噌を溶いた汁に入れます。」

手渡された器に
勇也と鉄斎が箸をつける。
恐る恐る、少し持ち上げて齧り付く。

「お!おー!
 美味い!」
「こりゃあ!
 何だ、この食いごたえ!」
「鉄っあん、切り麦初めてかい?」
「お、おうよ!
 こいつあー美味いな!」

がつがつと箸が止まらない様だ。
それを見ながら信幸は

「啜るんですよ。
 紫乃、俺にもくれ。」

勇也の仲間に器を配っていた紫乃が
信幸にも一つ渡す。

「こうです!」

ずずーっと
信幸が豪快に麺を啜り上げる。

「おおーーーーーー!
 俺もやるぜ!
 こうだな!」
「おらも!」
「勇さん、上手いな!
 こうか?」

皆で、ずずーっと麺を啜る音が響く。

「でわ、私も。」

紫乃も昔の様に麺を啜り上げる。

「そうです!
 そうです!」

信幸は笑った。
笑いながら泣いた。

「お?どうした信さん!」
「いや、、いや
 嬉しい!
 俺は嬉しい!」
「貴方様、、
 もう、こんな時に涙はいけません。」

そういう紫乃の目にも、、、

「俺は国が無くなり
 仲間が無くなり
 江戸に流れて来たはいいが
 何をしていいのか?何が出来るのか?
 悩んでいた。
 だがまた
 切り麦を食って笑い合える時が来たのだ。
 嬉しくて堪らん!」
「そうかい、そうかい。
 じゃあよ!その笑い合う人を
 もっと増やしてやろうぜ。
 なあ!信さんよお!」

信幸は頷いた。
何度も何度も。

「お代わりはまだありますよ。
 皆さん、たんとお食べ下さい。」

小屋の奥から
お美代とその父が出て来た。
切り麦の手伝いをしていたようだ。


つづく 
https://note.com/clever_hyssop818/n/nf9e4042de78a



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