残陽 13

堀出葉蔵は冷や酒を一気に煽った。
喉が渇いていたのだろう。
それで一息がつけた面持ちに見えた。

「愚かしい、、」

改めて呟く。

「戦さ場であるなら分かるのだ。
 我らは戦さ場でのみ人を殺める。
 それが武士であるのだ。
 それが務めではないか?
 そこに私怨なぞは無い。」

長く降った雨の季節が終わり
空気はからりとしてきたが
夏を迎える熱の起こりは
堀出の虚しき憤りにも連鎖したかの様だ。

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「そう、思われぬか?」

不意に信幸は問い掛けられた。

「其方も武士であったのだろう?」

喉がごくりと鳴った。

「武士は、、捨てましたので、、」
「拙者と同じ負け組だろう。
 だから武士を捨て江戸に流れたのだ。」

その通りだ。
と胸を張って言う気にはならない。
あれは、、消したつもりの事。
思い出してはいけない事なのだ。

だが、ついこの堀出という男に賛同したくなる。

「拙者の藩は小さなものでな。
 先の大戦さにて少しでも良くしたかった。
 生まれ育った村の暮らし。
 日々を共に過ごした人々。
 故に必死に命を賭けた。」

ああ、小藩とは何処も同じなのだ。

「それを恨みとはな。
 虚しくなるのだ。

 いや、済まぬ!
 武士を捨てるには訳もあろう。
 つまらぬ事を言うた。
 忘れてくれ。」

堀出は頭を下げた。
その姿が胸にくる。
奥の奥に刺さる。

「もう一杯、如何ですか?」
「うむ、貰おう。
 今宵は少し金もある。
 酔うても良かろう。」
「へい。」

分かるのだ。
戦さの無き時、武勇があれば語りたくもなる。
堀出にも信幸にも、ただ戦さがあった事しか無い。

あの熱
あの狂気
あの空気と匂い

全てが平素とは異なるのだ。
あれはその場に居らねば分かりはしない。
まるでこの世のものとは思えなかった。
地獄の蓋が開いたら
きっとああいうものかと考えた。

そんな事を覚えている。
頬に当たる風の感触を覚えている。
必死に押し込めてきた
何ものかを覚えている事を
覚えていると思い出してしまった。

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「酒は美味いものなのだな、、」

堀出がしみじみと言った。

「そんなに飲みたいとも
 飲めるものでもなかったが、美味い。」 

信幸は紫乃に目配せをした。
紫乃は黙って頷いてくれた。
堀出は今、何を思うのか?
何処か遠くの景色を
脳裏に残った風景を見ているのかもしれない。
例えるなら、あの赤い夕陽の色だ。

「旦那、これはあっしからでござんす。」

信幸は一杯のうどんを出した。

「良いのか?」
「よ御座んす。」
「有り難い。かたじけない。」

湯気の立つうどんを啜り
また何処か遠くを見る。
信幸は明日生き残る為にとは言えなかった。
言えば、紫乃に申し訳ない気がしたからだ。
そんな自分を分かってくれている妻に
感謝しか無いと思っている。

それは紫乃を失いたく無いと思った
あの時の気持ちがあったから
今があると信じていたいからでもある。


つづく
https://note.com/clever_hyssop818/n/n5424178acbe2

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