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装飾写本《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》より(前編)

前書き


以前NHKのBSで取り上げられ放映されておりましたようです。
資料はネットより収集したもので画像は所蔵本より掲載致しました。

此れは、中世フランスの一年、12ヶ月を通しての当時の暮らしが描かれた門外不出の豪華本。15世紀に王族が作らせた装飾写本です。

描かれた花の彩りが綺麗ですね。文字の間にも挿絵が入りファッショナブルな感じです。

写本とは、薄くなめした羊皮紙に手書きで挿絵や文字を描いた本の事です。
ミステリー映画[薔薇の名前]の中で写本専門の修道士が克明に原本から写し書きする場面があります。

時祷書じとうしょとは、日本人には馴染みのない言葉ですが。文字其の物からの感じでは「時と共に祈る為の書物」となり、主にカトリックの12ヶ月の暦から描かれているようです。難しい文字で綴られており専門家でないと判読しにくいですね。


[ 1月] 新年を祝う宴

[ 1月] 新年を祝う宴

新しい年です。Bonne année !(ボンナンネー)と交わされ良い年を願う挨拶から始まる1月です。

14世紀のフランス王家の3男ベリー公(ジャン1世)の宮殿では、新年の祝いの宴が開かれています。右側の2番目に着席している毛皮の帽子を被りブルーに錦糸の刺繍柄の豪華な衣装の男性が実在したベリー公爵(1340-1416)です。
テーブルには様々な御馳走が並んでます。
ベリー公は宴に招いた客人達に「近う、近う。新年の宴じゃ、大いに飲んで食べて楽しもうではないか」と気さくに声を掛けています。

この時代は、犬も食卓に同席出来る動物でした。ある意味、床に落とされた食べ物の掃除係りを担っていたのです。食べ残しの骨や何かは床にドンドンと落として行きます。多分、それらを片付けるのは犬だけでなく鼠も居たでしょうね。
 
ベリー公に腕を買われ、此の《時祷書》の挿絵を描くために召し抱えられたランブール兄弟(中央手前の後ろ向きの二人)も招待され挨拶をしています。
兄の方へ「おう、今日は美人の奥方は同伴では居らぬのか」
弟の方へは「2番目の子の風邪は治ったのか」などと気遣いを見せるベリー公です。

 宴は無礼講だったかは判りませんが、美酒と御馳走に優雅なダンスに恋の駆け引きなども有ったのでしょうか。

時代的にはルネッサンス、フランスとイギリスの間で争った100年戦争の時代です。此れはジャンヌ・ダルクに寄ってフランスの勝利と成ったと伝わっていますが、其のような時代でも貴族は、下々の苦しい生活事情など意に解する事も無く贅沢なものでした。

然し、綺羅きらびやかな装いと香水に隠された不潔さは想像するだに日本人なら鼻が曲がりそうな匂いで有ったろうと思われます。

[ 2月] 冬が過ぎるのを待つ農村の風景

[ 2月] 冬が過ぎるのを待つ農村の風景

豪華な宮殿での場面から一転した農村での2月は、あたり一面に雪景色が広がった静かな様子です。西洋絵画において雪景色が描かれるのは、この時代珍しいことらしいです。

屋内の召使い達は暖炉に身を寄せて暖まりながら休憩しています。
扉が開きっぱなしでは暖炉の前でも寒いのではないかと思いますが、此れは屋内を描く為の手法かと。
日本でも平安期の貴族の住まいが描かれた絵に見られますね。

暖炉の前で青いドレスの女性がスカートを、たくし上げて暖を取っています👱‍♀️「よく降るねぇ。漸く小止みになったようだけど。それにしても冷え込んで足が冷たくて、こうすると暖かくて働くのが嫌になっちまう」

隣の男が「ほんとだ、オラも足元が冷えるだよ。火の前は良いがね、動きたくねえなぁ」

👨「全くだ❗御主人様が羨ましいなぁ。やれやれ、親父にどやされる前に仕事に戻るか」

🧔「ジャンヌもボンヤリしてねえで御主人様が御目覚めの前に暖炉の掃除に行って火を入れてきなよ」などと召使い達の会話が聞こえてきそうです。

隣の小屋では羊が身を寄せ合って暖を取っています。外では鳥たちが餌をついばんでいます。
ショールの女が「うぅ~寒い」と言いながら用事を済ませて急いで帰ってきたのか建物に向っています。
画面後方では斧をかざした男性が薪作りに精を出し、ロバを率いた男性は、遠方の村に向かっているようすです。

それにしても当時の人は寒さに強かったのでしょうね。女性の服装も寒さから身を守れるのかと思うほど襟首があいています。

トイレ事情は、屋内にトイレなど無く、陶器の壺、要はオマルで用足しをしていたようで使用後は屋外に捨てに行ったようです。

高貴な人々も同じくで下男下女が始末をしていました。
建物の廻りは嘸《さぞ》かし悪臭が漂って. . . 酷いものだったのでしょう。

[ 3月] 畑の土起こしとブドウの木の手入れ

[ 3月] 畑の土起こしとブドウの木の手入れ

寒さも徐々に緩んでくる3月。
冬の間、農作業ができなかった農民たちも忙しくなってきます。男性が牛に鋤(すき)を引かせて、土起こしをしています。日本でも昭和の時代には見た事のある風景です。

隣の畑ではブドウの根元の土の入れ替えをしています。ブドウの木の手入れは其の年の収穫に繫がる重要な仕事で其の年の天候を気にしながら農夫は葡萄の木の剪定もしているのでしょう。

ベリー公爵の城でもシャトーワインの醸造をしていたのではないかと思われます。挿し絵では小さく描かれていますが、公爵領の広大な土地の一部分であったろうと思われます。
 
遠方、左側の上空に目をやると雲行きが怪しくなっている様子です。この時期は天候が変わりやすく、間もなく雨が降り出し土を潤すことでしょう。

城の右側、塔の上には黄金のドラゴンの姿が有ります。これは其の昔、城の城主の妃メリジェーヌが、ドラゴンに姿を変えて城を守るという伝説を表しています。
メリュジーヌの話は、フランスでは14世紀より前からメリサンドという名でも知られ民話にも登場しています。

[補足]メリジェーヌ物語

入浴中のメリジェーヌを覗き見するレイモン

メリュジーヌは、泉の妖精プレッシナとスコットランドのオルバニー(アールバニー)王エリナスの子である。

母親の出産時に、禁忌とされていた妖精の出産を父親である領主が見てしまったために、メリュジーヌと2人の妹、メリオールとプラティナは妖精の国に戻されてしまったのです。

成長したメリュジーヌと妹達は父親をイングランドの在る洞窟に幽閉してしまいます。ところが母親のプレッシナは夫を愛するがゆえに、メリュジーヌと妹達に、週に一回だけ腰から下がドラゴンの姿となるという呪いをかけました。

さらに、もし変身した姿を誰かに見られた場合には、永久に下半身がドラゴンで翼を持った姿のままとなってしまう。従って、メリュジーヌが誰かと愛を育むには、その一日に彼女の姿を見ないという約束を果たせる者と出会わねばならなかったのです。

話変わってポワトゥーの伯爵レイモンは、おじを誤って殺したことから家族の元を離れていましたが、ある日メリュジーヌと出会って恋に落ち、メリュジーヌも「土曜日に自分の姿を決して見ないこと」という誓約を交わした上で結婚します。

彼女は夫に富をもたらし、10人の子を儲けました。また、彼女の助力もあってレイモンはリュジニャン城を建て、町も築くことができました。
ところが夫は悪意のこもった噂を耳にすると誓約を破り沐浴中のメリュジーヌの正体を見てしまったのです。

誓約を破られたため、メリュジーヌはドラゴンの姿になって城を飛び出して行きました。然し、授乳中の子供がいたことから、一時的に城に戻ったほか、城主や子孫の誰かが亡くなる直前にも戻ったと伝えられています。

そのため、城主らの死が近づくと、城壁の上に幽霊のようにメリュジーヌが姿を現しては泣き悲しむ様子が見られたといいます。

メリュジーヌの子供達の多くは妖精の性質を持っていたものの、問題なく生まれた2人の子供の血統からは、後のフランス君主が産まれました。

ベリー公の祖先がポワトゥーの伯爵レイモンであり、後に子孫のベリー公がリュジニャン城主となったと思われます。

[4月]  貴族の婚約の儀式

[4月] 貴族の婚約の儀式

穏やかな春の陽光の下、貴族の男女が婚約指輪を交わしています。
男性が婚約者に指輪を送り、誓いの言葉を口にします。

「貴女を愛しています。此の指輪を貴女の指に嵌めましょう」と言ったのでしょうね。彼女は頬を上気させはにかみと歓びの表情です。

当時の貴族達のファッションです。男性は美しいラピスラズリの色をした布地に金色の王冠の刺繍が施されたガウンを纒っています。
伯爵か公爵でしょうか高位の人ですね。

女性も男性の家柄に似合う爵位の姫君で、薄紫色の菫色のドレスに赤いサンゴの長いネックレスを掛けています。そのドレスの裾からレースのスカートが見えます。当時、レースは修道院のシスター達によって作られた上質の物だったのでしょうね。

木々の若芽が萌出した春らしい景色です。又、春は人々の心を浮き立たせ婚約に相応しい季節です。

[5月]男女が森で愛を語らう若葉狩り

[5月]男女が森で愛を語らう若葉狩り

爽やかな空気が伝わって来るような5月の一コマ。

御付きの者がトランペットを吹き鳴らす中、森へ繰り出そうとしている若い貴族の男女たちの心浮き立つような場面が描かれています。

5月の「若葉狩り」と呼ばれる行事で、参加をする者は皆、若葉で作られた冠や襟飾りをしています。馬にも若葉色の馬具が付けられています。

この若葉の装飾を身に着ける事は、男女それぞれのメッセージが込められ、
男性側は「恋の不意打ちを仕掛けますよ」の意味合いが有り、女性の場合は「愛を受け入れる準備はできております」の意味を含んでいます。

当時の男女の関係は宗教的には厳しいですが、意外と大らかなところも有ります。

行事として「若葉狩り」は王宮を離れて森で愛を語らう一日なのです。事の成り行きでは語らうだけでは済まなかったのではと思われますね。

[6月]畑の草刈り

[6月]畑の草刈り

神❓教会が定めたもうた時間はその時期の農作業の目安になります。

夏至に近い「聖ヨハネ」の日が来ると、それが夏草の刈り入れの合図となったのです。

挿絵には、その月の一番大事な農作業が描かれます。
画面手前の刈り取った夏草を搔き集める作業は女性の仕事です。
男性らは画面奥で同じ体制で大鎌を振っています。

後方の城はパリの中心のシテ島にあった王宮です。
右側の天辺に十字架のある建物は王宮付の礼拝堂です。王宮や貴族の館には礼拝堂が併設されているのが普通の時代です。
 
其れ程、信心深く清廉潔白な人々ばかりと言う事になりますが、其れとは裏腹に豪華な衣装の内には様々な陰謀や嫉妬や愛欲が渦巻く泥沼のような闇が有ります。
 
王宮の城壁の外は領民たちが働く緑豊かな長閑な風景が広がる領地です。
農民たちも王侯貴族も、初夏の緑に親しめる余裕のある時代で有りました。


[ベリー公のいとも華麗なる時祷書]の1月から6月迄の暦でした。
ネットからの資料に、創作文を加筆させて頂きました。

✒後編の7月から12月まで投稿を埋め込みさせて頂きました。

御越し頂き有り難う御座いました。