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言葉が結ぶ図像―『古川諒子―太平洋は銀製』鑑賞メモ

 広島市のギャラリー、ヒロセコレクションで古川涼子の個展『太平洋は銀製』(2023年1月13日―2月5日)が開催されている。本稿は、この展覧会を鑑賞した際の雑感をまとめたメモである。

古川の制作過程

 古川は、第三者によって書かれた文章(ピアノの教本、説明書、新聞記事等)を切り刻み、文章を再構成、そうしてできた文章を「タイトル」としてそれをもとに絵画を作成する、という一風変わったプロセスで製作をしているという。古川は「作品が先にあり、タイトルが後に付けられる」という従来の作品とタイトルの関係性を逆転させる。「創造性のあるタイトルを無限に生成できれば、創造性のある絵画も無限に描くことができる」[1]と古川は考えるのである。
 この古川の創作スタイルは、シュルレアリスム[2]運動の中で実践されたという遊び、「優美な死骸」を想起させる。「優美な死骸」とは、シュルレアリストがしばしば行った遊戯である。フランス語の文章の規則にのっとり、主語、動詞、補語の順で、別々の人間が、互いの考えている言葉を知らない状態で言葉を記入していく。最後に完成した言葉は、文法的には間違っていないものの、意味のとおらない言葉となる。このような過程でできた文章のなかの「優美な死骸は新しいワインを飲むだろう」という文章から、「優美な死骸」という通称がもちいられるようになったとされる[3]。シュルレアリスムの創始者である、詩人アンドレ・ブルトンはこの試みに「ずっと発見したがっていたインスピレーションの源、あるいは自然の滝のひとつを見いだした」[4]という。意外な言葉の組み合わせからシュルレアリストたちが創造のきっかけを見出したように、古川もまた言葉から制作のきっかけをつかもうとしているように思われる。

言葉と絵画の関係

 かくして制作された古川の作品は、淡く、不明瞭に描かれている。言葉は確かに我々に特定のイメージを想起させ、時には身体的な反応をも引き起こす。「レモン」という言葉が我々に特定の果物を想起させ、ときには唾液の分泌を促すのはその一例だ。一方で「レモン」という言葉によって我々の脳内に浮かぶのは、おそらく不明瞭なものであるはずだ。同じ言葉を聞いても、人によって思い浮べる図像には差があるはずだ。先ほどの「レモン」という言葉でも、ある人は黄色いレモンを思い浮べるかもしれないし、別の人は緑色のレモンを思い浮べるかもしれない。古川の作品が不明瞭な像として描かれるのは、おそらくこのような理由ではないだろうか。もちろん、技術を尽くして写真のように克明な作品を仕上げる、ということもできるかもしれないが、それは様々なイメージを喚起することができるはずの言葉の可能性を限定してしまうことになりかねない。だからこそ古川の作品は淡く、おぼろげなイメージとして我々に提示されるのではないだろうか。
 今回展示されている作品の中に、《私は若いときの長靴に似ている》というものがある。「若いときの長靴」とはどんなものだろうか。長靴とはゴム製の雨をしのいだり、水のある場所で作業をするためのものだろうか。もしくは革製のブーツだろうか。そしてその長靴に「似ている」とはどのような状態だろうか。そもそも「私」とはどんな人物なのだろうか。そもそも人なのか。ぜひ会場で確かめてほしい。

疑問

 言葉をもとに制作するという古川だが、もし絵画が特定の言葉にしたがって描かれるものであるなら、それは完全に絵画が言葉に依存していることになり、ともすれば絵画が文章の「挿絵」になってしまう危険性も秘めているとも考えた。絵画を制作することが目的であるならば、最初につくられた文章と、制作された絵画のあいだには、互いに依存しつつも何かしらの緊張関係が生じるのではないだろうか。
 この原稿を執筆しているのは2023年1月20日の深夜である。1月21日に作家と広島市現代美術館学芸員の笹野麻耶氏によるトークショーがある。もし機会があれば、創作の過程における作家の思考を聞いてみたいものである。

展覧会『太平洋は銀製』
会場:ヒロセコレクション(広島県広島市中区千田町3-9-10)
会期:2023年1月13日―2月5日(金・土・日のみ開館)

参考文献

『太平洋は銀製』リーフレット
ディディエ・オッタンジェ編著『シュルレアリスム辞典』柏木博監修、遠藤ゆかり訳、創元社、2016年。
なお、作家の古川諒子氏については、以下の記事も参照されたい。



[1] 『太平洋は銀製』リーフレットより抜粋
[2] フランスの詩人アンドレ・ブルトンらによって興った芸術潮流。意識や主観によって我々が「現実」と考えている現実を超えた現実、「超現実」を探究しようとするもの。
[3] ディディエ・オッタンジェ編著『シュルレアリスム辞典』柏木博監修、遠藤ゆかり訳、創元社、2016年、190頁。
[4] Ibid.