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時間

学校に行けば、毎日規則正しく同じ時間にチャイムが鳴り、チャイムとチャイムの間は授業もしくは休み時間として区別される。
当たり前だけど永遠の授業などない。始まれば終わるし、終わればまた次の授業が始まる。まあその繰り返しこそが永遠なのかもしれないが。
流れる時間をまな板の上に置いて包丁で切るような行為を私たちは毎日していると思う。もしもその区切りがなかったら、どのような生活を営むのだろう。時間割りのない学校はどんなだろう。そもそも時間割りのない学校は学校と呼べるのだろうか。それぞれの教室で、先生たちが好き放題講義しているのを自分の好きなときに気が向いたときに聴きに行くのってどうかな。自分の選択にすべてを委ねられるのだから、情報の偏りが生まれるという欠点はあるけれど、時計が作られる前に戻りたいならばそれは有効な手段のように思える。
時の流れを区切っているからこそ、私たちは締め切りが近いだの、待ち合わせに遅れそうだの言っている。忙しなく生きていくのに疲れたら、とりあえず家にいるときぐらい、何時に何をするなどと決めるのを止めるようにしている。時間は思っている以上にゆっくり進んでいて、太陽と月の動きだけで、時間は確かに進んでいることを感じられる。時計の針を見るよりもずっと人間的だと思う。


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