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現実世界の話#4

喜怒哀楽の「怒」がどこかに行ってしまった。友人がある人に対して怒っている隣で、私はそうだね、と愛想笑いしかできなかった。友人がなぜ怒っているのかもちゃんとわかっていたし、納得もしていた。だけど、私は友人のように感情をむき出しにすることができなかった。どこか冷静に俯瞰して見ている自分がいた。

数ヶ月前に、私は他人に対してかつてない苛立ちを覚えたことがある。自分の力ではどうにもならないことで、とにかくその人に「怒」という感情をぶつけることしかできなかった(心の中で)。そのときに思ったのが、他人の言動で感情的になるのはすごく労力を使うということ。だから、周りの人の嫌な言葉や理不尽な行動に感情を左右されないように、自分でコントロールしようと思いついたのだ。それからはあまり自分に負荷がかからないようになったし、幾分過ごしやすくなった。

だから、今回感情が揺れ動かなかったのは成長とも言える。けど、友人に対してその態度はどうなのか、と思う自分もいる。また、取り柄だった感受性が薄れていくのではと心配にもなる。

喜怒哀楽のうち「怒」が消えたことぐらいで、そんなに悲しまなくてもいいのかなと思い始めている。消えたとかどこかに行ったとか言ったが、実は私の意思で捨てたのかもしれないし。喜哀楽があれば十分じゃない。そもそも、感情などたった4文字で表せるわけないのだから。

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